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西善寺の木造阿弥陀如来坐像及両脇侍立像
(読み方)さいぜんじ の もくぞう あみだにょらい ざぞう および りょうきょうじ りゅうぞう
西善寺木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 昭和55年(1980年)3月18日
- 種別 彫刻
- 所在地 松本市和田境1317
- 所有者 西善寺
- 時代区分 江戸時代
清水の大仏から西善寺の大仏へ
もとは松本城下町、清水(しみず)の地にあった念来寺の本尊及び両脇侍(きょうじ)像でしたが、明治初年の廃仏毀釈により念来寺が廃寺となった際、西善寺へ遷座したものです。 念来寺は、木食(もくじき)行(穀断、塩断、火断)とともに、作仏(さぶつ)行(民衆救済の誓願にもとづき、念仏とともに千体、万体、大仏を彫る)の作仏聖(さぶつひじり)の木食寺院でした。作仏聖の初祖を彈誓(たんせい 十方西清王法国光明彈誓阿弥陀仏)、二世但唱(念来称帰命山)、光明山念来寺の開山を三世長音(1602年~1678年)といいます。 作仏聖・但唱一派が開いた寺や堂には大仏が多くみられます。「開山・長音上人御自作」と記録される本尊も、念来寺に安置されていた頃は「清水の大仏(おおぼとけ)」とよばれ、多くの人々に親しまれました。現在は「西善寺の大仏」です。 阿弥陀如来坐像は檜(ひのき)材で、像高は176cm。寄木造、漆箔(しっぱく)。やや丸顔で張りのある頬は力強く、水晶製の玉眼をはめ込み、ゆったりと組む膝上に弥陀定印(みだじょういん)を結んでいます。鎌倉時代風の古式な様式がみられる堂々たる優作です。 なお、光背の上部が切られたようになっていますが、これは念来寺から西善寺に運ばれた際、光背が大きすぎて天井に当たり、堂内に入れることができなかったため、泣く泣く光背上部を切り取って入れたものと伝わっています。 脇侍の観音菩薩立像(向かって右側)の像高は205cm、勢至(せいし)菩薩立像(向かって左側)は210cm、観音菩薩は腹部のあたりで両掌上に蓮台を載せ、勢至菩薩は合掌のかたちをとっています。両菩薩立像と阿弥陀如来坐像との作域は異なっていますが、整った面相に古式がみられる優作です。「念来寺中興明阿(みょうあ)上人再興」と記録されており、阿弥陀如来坐像の光背が享保7年(1722年)に明阿によって再興されていますので、両脇侍もこの時代に明阿上人が制作したと考えられます。 これらの仏像は常念仏堂(常念仏とは、一定期間、交代しながら毎日四六時中念仏を唱え続ける修行のこと)に安置されて、光明仏(彈誓)流儀の念仏が受け継がれていきました。