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若澤寺参道丁石

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)にゃくたくじ さんどう ちょうせき

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成23年3月22日
  • 種別    歴史資料
  • 所在地   松本市波田4570 ほか
  • 所有者   上波田高齢者クラブ ほか
  • 時代区分  江戸時代

若澤寺(にゃくたくじ)までの道標(みちしるべ)

往時、信濃日光と呼ばれた若澤寺跡への参道沿いに、高さ70~130cmの丁石10基が残されています。
平安時代の密教寺院の多くは俗塵を離れた山中に建てられ、修学研鑽の場としました。参道が山中で長いことから、寺まで何丁(町)、奥の院まで何丁と、道標を兼ねて、入口を起点とし1丁(約109m)ごとに丁石が建てられました。

若澤寺表参道(上波田阿弥陀堂から水沢山林道を登る経路)では、仁王門を入口とし、1丁進むごとに2丁、3丁、と数を増し、18丁目で若澤寺に至るようになっていました。現在9基確認されている表参道の丁石(4丁・7丁・10丁・13丁・14丁・15丁・16丁及び丁数不明のもの2基)の造立年代は、寛永12年(1635)6月吉日の同一日で、施主は地元や近隣の人々で、いずれも上部に阿弥陀三尊の種子(梵字)が刻まれています。各丁石には、空海の説いた「十住心論」にもとづき、それぞれの住心を配当し、参詣者は1丁進むごとに邪心を追い払い菩提心を高めながら、若澤寺水澤観音のもとへと登って行ったのでしょう。

なお、裏参道(盛泉寺の南から山道を登る経路)では、12丁目の丁石1基だけが確認されています。


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