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若澤寺参道丁石
(読み方)にゃくたくじ さんどう ちょうせき
若澤寺参道丁石(四丁目) 若澤寺参道丁石(七丁目)
若澤寺参道丁石(十三丁目) 若澤寺参道丁石(十四丁目)
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 平成23年3月22日
- 種別 歴史資料
- 所在地 松本市波田4570 ほか
- 所有者 上波田高齢者クラブ ほか
- 時代区分 江戸時代
若澤寺(にゃくたくじ)までの道標(みちしるべ)
往時、信濃日光と呼ばれた若澤寺跡への参道沿いに、高さ70~130cmの丁石10基が残されています。
平安時代の密教寺院の多くは俗塵を離れた山中に建てられ、修学研鑽の場としました。参道が山中で長いことから、寺まで何丁(町)、奥の院まで何丁と、道標を兼ねて、入口を起点とし1丁(約109m)ごとに丁石が建てられました。
若澤寺表参道(上波田阿弥陀堂から水沢山林道を登る経路)では、仁王門を入口とし、1丁進むごとに2丁、3丁、と数を増し、18丁目で若澤寺に至るようになっていました。現在9基確認されている表参道の丁石(4丁・7丁・10丁・13丁・14丁・15丁・16丁及び丁数不明のもの2基)の造立年代は、寛永12年(1635)6月吉日の同一日で、施主は地元や近隣の人々で、いずれも上部に阿弥陀三尊の種子(梵字)が刻まれています。各丁石には、空海の説いた「十住心論」にもとづき、それぞれの住心を配当し、参詣者は1丁進むごとに邪心を追い払い菩提心を高めながら、若澤寺水澤観音のもとへと登って行ったのでしょう。
なお、裏参道(盛泉寺の南から山道を登る経路)では、12丁目の丁石1基だけが確認されています。