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野々山家伝来拵付大小
(読み方)ののやまけ でんらい こしらえ つき だいしょう
野々山家伝来拵付大小
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 平成7年4月28日
- 種別 工芸品
- 所在地 松本市丸の内4-1(松本市立博物館)
- 所有者 松本市
- 時代区分 江戸時代
戸田家重臣・野々山家の家宝
脇差(わきざし)の由来
脇差は、上州高崎藩の安藤対馬守重治が、寛文2年(1662年)正月十三日、自らの婚礼に際して、新婦・美濃国加納城主戸田丹波守光重(*1)の次女の、貝桶渡し役(*2)を務めた野々山吉純に贈ったものです。以来、野々山家(四百石 御年寄)に伝来し、同家の後裔、永井博氏から平成3年(1991年)に松本市に寄附されたものです。
出身書(*3)には次のようにあります。
寛文二年壬寅正月十三日 富姫様(光重様御二女)安藤対馬守重治殿え御婚礼之節吉純桶ヲ渡 其後御祝儀振舞之節重治殿盃被下 且御脇差(信国作)
銘 信国
長さ 40.2cm、反り 0.6cm
*1 戸田光重 享保11年(1726年)松本に入封した戸田光慈(みつちか)の曽祖父。
*2 貝桶渡し役(かいおけわたしやく) お守り役の一種。
*3 出身書 家臣の役職、賞罰などの経歴を記したもの。
寛文新刀の由来
刀(寛文新刀)は、戸田光重が大坂城代を務めた明暦2年~万治元年(1656年~1658年)の時期、光重に伴って在坂した野々山吉純が、同地の大和守吉道に依頼して鍛えさせたものです。脇差(信国)とともに半太刀拵(こしらえ)とし、同家に伝来したものを、脇差と同様に永井博氏が松本市へ寄附されたものです。
銘 (表)斬口胴 大和守吉道
(裏)野之山氏 吉純欲為家珎令鍛之 明暦四年丙戌三月日
長さ 71.1cm、反り 1.2cm
松本城主関連の資料は文書類を除けばそれほど多くなく、工芸品にしても同様です。野々山家伝来拵付大小は、戸田家が松本城主在任中に入手したものではありませんが、戸田家の重臣・野々山家に家宝として伝来した刀・脇差として、松本地方の遺品中では極めて貴重な資料です。