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明阿上人坐像
(読み方)みょうあ しょうにん ざぞう
明阿上人坐像
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 平成21年12月22日
- 種別 彫刻
- 所在地 松本市丸の内4-1 松本市立博物館
- 所有者 松本市
- 時代区分 江戸時代
厳しさの中に慈悲が漂う
江戸時代、松本城下の清水の地にあり、明治初年の廃仏毀釈の際に廃寺となった念来寺の第6世住職、明阿上人(みょうあしょうにん)の坐像です。
像は檜材による寄木造で、目は玉眼です。大きさは、像高68.0cm、肩張46.0cm、膝張63.0cm、胸厚24.0cm、膝高15.0cm、膝奥46.0cm、面長22.0cm、面幅13.5cm、面奥16.0cmを測ります。作り方は、頭部は前後はぎで躰部にはめ込まれ、躰部は前後はぎ、側面は合わせはぎです。膝前は腕はぎ寄せで、両手先はめ込みです。肌は肌色、法衣・袈裟(けさ)は古色塗がなされています。
肉厚で重量感のある肖像で、法衣に袈裟をまとい、印相は説法の形をとっています。頭部は比丘(びく)形(声聞(しょうもん)形)で、頭布をまとっています。右手を軽く握って胸の前に置き、左手は数珠を握る形で腿の上に置きます。下半身に力がこもり、膝張り、膝高、膝奥とも強く、安定感があります。それに比べ、上半身はやや引き締まり、特に顔は細面の長顔で、頬がくぼみ、正眼で厳しさの中に、慈悲相を漂わせています。
その様子は、高い人格を漂わすすぐれた肖像彫刻として、人を惹きつけます。肌や衣に刻まれた深い線と、古色塗の渋い色彩がマッチして像を引き立てています。側面から見ると、高い膝高、深い膝奥で、顔を上げ安定感のある三角形をしています。背面は、背後まで肉付をよくし、立体的な像に仕上げていますが、衣文の線などは簡潔です。
底部が密封されているため内部が確認できませんが、『東筑摩郡松本市塩尻市誌第2巻歴史編下』によると、「享保十一年 飯田七大夫作 教圓相阿代」という墨書銘が胎内にあるといいます。このことから、作られたのは享保11年(1726年)、相阿(明阿の弟子、念来寺第8世住職)の代であることが分かります。