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南栗遺跡出土銅鋺

更新日:2023年5月11日更新 印刷ページ表示

(読み方)みなみくり いせき しゅつど どうわん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成7年4月28日
  • 種別  考古資料
  • 所在地 松本市中山3738-1(松本市立考古博物館)
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 奈良時代

銅鋺に祈りをこめて

南栗遺跡は島立地区の南部にあり、奈良井川・鎖川の西岸から長野自動車道周辺まで広がる大きな遺跡です。
昭和58年(1983)11月から12月にかけて県営ほ場整備事業に伴う第1次発掘調査が行われ、奈良時代から室町時代にいたる住居跡や建物跡などの遺構が発見されました。

銅鋺が出土した家(第6号住居跡)は、約7.3m×約7.5mの方形で、西壁にカマドがあり、煙道が続いています。この家にかかわる遺物は須恵器(すえき)の坏(つき)・高坏(たかつき)・蓋坏(ふたつき)などで、ほかには土師器(はじき)の坏・甕(かめ)などがありました。これらの遺物からこの家は奈良時代のものとみなされています。

銅鋺は調査終了間際に発見されました。家の貼り床の下、深さ15cmあまりの穴の中に口縁部を上に向けて埋められていました。銅鋺の口径は13.7cm、高さ5.5cmの丸底の、やや深目の鋺で、蓋はありません。器壁はろくろにより1.5mmあまりと薄く調整されていますが、口縁部では3mmと厚くなって内側に傾斜しています。器の外面には細い2本単位の沈線2組ずつが、口縁部・胴部・底部にめぐり、底部中心には鋳造時の湯口の切りはなし部分がわずかに盛り上がり、ここにも2本の沈線がめぐっています。
銅鋺は仏具として使われる場合が多く、このような完形の出土品は長野県内でも珍しいものです。このページのトップに戻る


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