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南方古墳出土品

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)みなみがた こふん しゅつどひん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成7年4月28日
  • 種別  考古資料
  • 所在地 松本市中山3738-1(松本市立考古博物館)
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 古墳時代

数回の追葬による大量の副葬品

平成元年(1989年)の2月、入山辺地区の工事現場で、この古墳は突然姿を現わしました。入山辺南方(みなみがた)集落西側の薄川(すすきがわ)左岸の段丘上にあり、南側には林大城跡のある城山の山肌が迫る場所に位置しています。新しく発見された古墳であり、名前がなかったので、発見された場所の地籍名により南方古墳としました。
発見時には天井石がなく、工事のため西側側壁の大半が壊されてしまいました。しかしその後、2月14日から3月31日まで発掘調査が行われ、全体としては残りが良い古墳であり、明確な墳丘はなく、段丘斜面に石室を掘り込んで省力化されている形態であることがわかりました。
石室内からは、副葬品が大量に発見されました。市内の他の古墳と比較しても圧倒的に多く、特に装身具は金環・銀環・勾玉・臼玉・丸玉など700点以上が発見されました。
他に馬具である轡(くつわ)・鞍・鐙(あぶみ)・杏葉(ぎょうよう)、武器である直刀・鉄鏃・刀子(とうす)、喪葬用の器である須恵器(すえき)・銅鋺(どうわん)・承盤(しょうばん)があります。特に、写真の圭頭柄頭(けいとうつかがしら)や倒卵形鐔(とうらんけいつば)など金銅製の儀刀(ぎとう)は、被葬者を知る資料として重要なものです。
これらの副葬品は、古墳のつくられた7世紀から8世紀にかけて数回の追葬によるものです。このページのトップに戻る


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