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三間沢川左岸遺跡出土銅印

更新日:2023年5月11日更新 印刷ページ表示

(読み方)みまざわがわ さがん いせき しゅつど どういん

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成7年4月28日
  • 種別  考古資料
  • 所在地 松本市中山3738-1(松本市立考古博物館)
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 平安時代

荘園経営で使用したものか?「長良私印」

三間沢川左岸遺跡は和田地区と神林地区の境目にあり、昭和62年(1987)から63年にかけて臨空工業団地造成に伴う発掘調査が行われました。
その結果、竪穴住居跡130棟、掘立柱建物跡10棟、溝跡5本などが検出され、出土遺物は土師器(はじき)・須恵器(すえき)・灰釉陶器(かいゆうとうき)・緑釉陶器(りょくゆうとうき)・銅印・銅鋺(どうわん)・八稜鏡(はちりょうきょう)・鉄器のほか、200点を超す墨書土器などが出土しました。
これらの出土品から、9世紀中頃から10世紀末頃までのほぼ150年にわたる、計画的に開発された荘園の一部がこの地域にあったと考えられます。


銅印は9世紀後半の住居跡から単独出土しました。印の大きさは3.3cm×3.2cmで四周にやや幅広の郭がめぐる方形、高さ2.8cmで、重量は52.15g、印文は2行に「長良」「私印」と楷書風の文字で書かれ、印面には朱が残っていました。鈕(ちゅう:持ち手部分)は莟鈕有孔(かんちゅうゆうこう:「莟」は花のつぼみのことで、つぼみ型の持ち手にひもを通すための穴が空いている形状)で印上面には惣型(そうがた:粘土でつくられた鋳型)の合わせ目の細い線が縦に残っています。


私印は奈良時代後半から使用されたといわれ、その用途・機能は自己の権利、所有の表示、護符的な意味、封印、職務を確認するための証印などです。
なお「長良」という名の人物については、平安時代前期の公卿に藤原長良(藤原北家、藤原冬嗣の長男)がいますが、本遺跡との関わりは不明です。このページのトップに戻る


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