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岩井堂の芭蕉句碑
(読み方)いわいどう の ばしょう くひ
岩井堂の芭蕉句碑
- 指定等区分 松本市重要文化財
- 指定年月日 平成20年(2008年)12月22日
- 種別 歴史資料
- 所在地 松本市会田337-2
- 所有者 無量寺
- 時代区分 江戸時代
身にしみて 大根からし 秋の風
江戸時代の有名な俳人である松尾芭蕉(まつおばしょう)は、元禄元年(1688年)、江戸をたち、「笈の小文」(おいのこぶみ)に記されている京都への旅行の帰途、有名な更科(さらしな)の月(姨捨山(おばすてやま)から見る月)を見ようと、名古屋から木曽路を経て善光寺街道を通り、姨捨山や善光寺に立ち寄って江戸に戻っています。この旅は後に「更科紀行」として著されています。
この句碑は、その「更科紀行」にある句を刻んだものです。正面には、「身丹志み亭(みにしみて) 大根からし 秋乃風(あきのかぜ) 者せ越(はせを) 梅室拝書」とあり、左側面に「嘉永二己酉九月雪松翁 一翠建之」とあります。高さ112cm、幅64cm、厚さ55cmの大きさで、嘉永2年(1849年)に建立されたものです。
「梅室」は江戸の著名な俳人であった桜井梅室のことで、この句碑の書は梅室によるものです。梅室の弟子で矢久村(現在の四賀地区矢久)の西沢梅朗が依頼し、長越村(現在の四賀地区中川)の松翁亭・中村一翠が建立したものです。この句はこの地で詠まれたものではありませんが、江戸時代に俳諧がさかんであったことをうかがわせてくれます。