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深志神社の宝物

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)ふかしじんじゃ の ほうもつ

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成21年12月22日
  • 種別  歴史資料
  • 所在地 松本市深志3-7-43
  • 所有者 深志神社
  • 時代区分 江戸時代

小笠原氏が勧請した松本城下の守護神

小笠原秀政は、慶長18年(1613年)に松本藩の大名として松本城に入部しました。その翌年、府中鎌田村井川館の守護神として祀ってあった天満宮を、松本城と城下町の守護神として勧請しました。これが深志神社の始まりです。
秀政は家康の孫娘を正室としました。大坂冬・夏の両陣に出陣命令が下り、特に夏の陣には秀政が大坂へ出陣、跡継ぎ忠脩(ただなが)は松本城の警護を命じられましたが、曽祖父家康への忠誠心から父秀政の後を追って出陣、弟忠政(後に忠真と改名)も兄を追って出陣しました。この戦いで秀政と忠脩が戦死しました。

深志神社に奉納されている菅神像は、大阪夏の陣で戦死した秀政の甲冑に付いていた守護神で、無事一人帰陣した忠政が深志神社に寄進したものと伝えられています。神像は高さ4.5cm、厨子は高さ12cmです。
宮形はこの菅神像を安置するために同時に寄進されたものです。唐獅子牡丹などの桃山調の極彩色の絵が描かれています。高さ68.5cm、奥行44cmです。
鐙(あぶみ)も神像及び宮形と同時に寄進されたと伝えられ、小笠原氏の家紋・三階菱が描かれています。高さ23.5cm、奥行23.5cm、幅は前方が12cm、後方が9.5cmです。このページのトップに戻る


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