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牛伏寺法華経断簡(藤南家経)

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)ごふくじ ほけきょう だんかん とうなんけきょう

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成27年(2015年)7月7日
  • 種別    古文書・書跡・典籍
  • 所在地   松本市内田2573
  • 所有者   牛伏寺
  • 時代区分  奈良時代

奈良時代の筆跡

断簡とは

断簡とは、古文書の一部を切り取り、紙片の状態にしたものを指します。
牛伏寺には、法華経の一節に当たる7行110文字が記された断簡が、掛軸として伝わっています。
断簡の筆跡は、五島美術館所蔵の「法華経巻第五(藤南家経)」(重要文化財)と同じ写経生のもので、安田文庫に所蔵されていた「法華経巻第三」(昭和20年3月末の空襲で焼失、写真図版が現存)も同筆と見られます。これらの資料から、元は八巻一具の法華経で、本断簡は「法華経巻第二」の一部と考えられます。

江戸時代後期に牛伏寺へ

五島美術館本、安田文庫本ともに巻末に本文と同じ筆跡で「藤南家経」とあることから、藤原武智麻呂を祖とする藤原南家に伝来したものとわかります。これらの書跡に奥書はないため、書写年代は断定できませんが、黄麻紙(おうまし)という奈良時代に多く用いられた紙を使用していることや、正倉院文書のにある記録から、天平19年(747年)年に作成されたものと推定されています。
掛軸の裏面には、牛伏寺15世憲如の筆跡で次のように記されています。

此経切之一軸高祖大師之真筆莫疑云々
文化十酉年夏
(この経切の一軸は高祖大師の真筆にして
疑うことなかれ云々
文化十酉年夏)

続けて、13世憲阿の法孫の憲寿が次のように記しています。

現住憲如和上登京砌納金峰山宝庫者也
憲阿法孫道本憲寿
(現住憲如和上が京に登りしみぎり、
金峰(峯)山の宝庫に納めるものなり
憲阿の法孫 道本憲寿)

これらのことから、文化10年(1813年)の夏に、15世憲如が京都に上った際に法華経断簡を入手し、牛伏寺に収めたことがわかります。このページのトップに戻る


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