ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 文化観光部 > 文化財課 > 餌差町十王堂の諸仏

本文

餌差町十王堂の諸仏

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)えさしまち じゅうおうどう の しょぶつ

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成21年(2009年)12月22日
  • 種別    歴史資料
  • 所在地   松本市大手5-5-31 放光庵
  • 所有者   餌差町十王堂の諸仏保存会
  • 時代区分  江戸時代

睨みを利かし城下を護る

十王堂は、江戸時代には各村々の入口や中心地に建立して、疫病や災害や悪戯者などが村に入らないように保護をしてもらうことを願ったといいます。松本城下では、藩主水野忠職が慶安5年(1652年)8月に公布した法度に次の規定があります。

在より松本へ罷り出候刻、ばくろう町木戸きわ、伊勢町の木戸・安原の一里山・清水村の川端より馬乗り申しまじく候 、たとえ道中にて旅人に会い申し候共、奉公人と見申し候得は、一丁前より下馬仕り、不礼致し申し間敷く候。

この法度の規定は度々公布されています。ここから分かることは、十王堂は城下と在(城下より外の地域)との境界に置かれ、城下は特別な地域である事を示しているということです。
城下町は計画的につくられた政治的軍事的都市です。そのため一般庶民から見ればさまざまな制限があり、聖域でした。十王堂はその聖域を守る働きをもち、城下町の構成からみて非常に重要な役目を果たしていました。松本城下町は明治のはじめ、廃仏毀釈によって寺院の多くは破壊され、十王堂も廃墟と化しました。その中にあって、今日、地域の人々によって十王が祀られています。
大きな閻魔像は像高110cm、その他の十王像は像高34~39cm、奪衣婆像は像高29cm、懸衣翁像は像高41cmです。このページのトップに戻る


松本市AIチャットボット