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上高地(特別名勝及び特別天然記念物)

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)かみこうち

  • 指定等区分 特別名勝及び特別天然記念物
  • 指定年月日 昭和27年3月29日
  • 種別 峡谷・瀑布・渓流・深淵(特別名勝)、天然保護区域(特別天然記念物)
  • 所在地 松本市安曇4469-2ほか
  • 所有者 国・穂高神社

神々が住まう場所 「神垣内」から「上高地」へ

スケールの大きな文化財

上高地といえば、大正池や河童橋、梓川の清流と河畔のケショウヤナギ林、眼前にそびえる穂高連峰や焼岳などを思い起こすかたが多いことと思います。そのすべてが文化財に指定されていることをご存じでしょうか?
焼岳-奥穂高岳-槍ヶ岳-大天井岳-常念岳-蝶ヶ岳-徳本峠-霞沢岳の稜線に囲まれた広大な範囲が、特別名勝及び特別天然記念物「上高地」として国の文化財に指定されています。つまり、松本平から望む常念岳も、頂上はその一部ということになります。面積は113.27平方キロメートルで、松本市の面積の約12%、安曇地区の面積の約28%に及んでいます。

江戸時代から昭和初期までの上高地

上高地はもともと「神垣内(かみこうち)」と表記され、江戸時代までは山林で働く杣人(そまびと)以外、訪れる人もまれな奥地でした。明治時代になって、ウィリアム・ガウランド、ウォルター・ウェストン等が北アルプス登山の基地として上高地を日本内外に紹介し、大正時代には大正池の水を発電に利用するために釜トンネルが掘削されるなど交通の整備が進み、多くの人々が山岳地図を手に登山へ訪れるようになりました。
 昭和時代に入ると、さらに多くの人の耳目を集めるできごとが続きます。昭和2年(1927年)、大手新聞社が主催した「日本八景」で上高地が「渓谷の部」に選ばれ、昭和3年(1928年)3月24日には、旧史蹟名勝天然紀念物保存法により名勝及び天然紀念物に指定されました。昭和9年(1934年)には上高地を含む北アルプス一帯が中部山岳国立公園に指定され、昭和10年(1935年)に河童橋までのバス運行が始まりました。上高地が国の指定文化財となった昭和初期は、上高地が観光の表舞台に登場した時代でもあったのです。

特別名勝及び特別天然記念物として

昭和27年(1952年)、文化財保護法によって上高地は特別名勝及び特別天然記念物に指定されました。この頃から、上高地にはマイカーで訪れる観光客で混雑するようになり、美しい自然と景観の保護に関心が集まるようになってきました。その後、昭和50年(1975年)からマイカーによる上高地への乗り入れを規制するようになり、現在は環境保護に配慮しつつ年間百数十万人の観光客を迎え入れる景勝地となっています。


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