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田村堂

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)たむらどう

  • 指定等区分 重要文化財
  • 指定年月日 昭和28年8月29日
  • 種別 建造物
  • 所在地 松本市波田4570
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 室町時代

「信濃日光」若澤寺の往時をしのばせる華麗な厨子

若澤寺の遺構

田村堂は、かつて「信濃日光」と称された若澤寺にあった諸堂のうちの一つです。
若澤寺は、奈良時代、現在田村堂のある場所から南西に2キロメートルほど離れた水澤山(みずさわさん)の中腹に、高僧・行基によって開基され、その後田村将軍(坂上田村麻呂)によって再興されたとの伝承があります。江戸時代には広い寺域を持ち、「信濃日光」として多くの参拝者を集めたお寺でした。
田村堂は、当初は厨子(ずし)として若澤寺の建物のなかに収められていましたが、江戸時代に新しい厨子が作られると、田村将軍をまつる田村堂として建物の外に置かれるようになりました。江戸時代の絵図「水澤山若澤寺一山之略絵図」にも、境内の最上段に田村堂として描かれています。
しかし、明治初年の廃仏毀釈によって若澤寺は廃寺となり、田村堂は地元住民等によって現在地に移されました。
昭和12年(1937年)に重要美術品の認定を受け、昭和28年(1953年)に重要文化財に指定されました。昭和40年には解体修理が行われています。

田村堂の構造

田村堂は、建築手法の特徴から室町時代後期の作と推定されています。桁行1間、梁間1間、一重入母屋造、屋根はこけら葺、妻入の厨子です。斗きょう(きょうは木へんに共)・二重扇垂木を備え、両開きの桟唐戸(さんからど)には輪違紋(わちがいもん)や花狭間(はなざま)格子が入っています。建築当初は金箔が貼られ、光り輝く華麗な厨子であったと想像されます。また、内部には現在でも田村将軍の像が収められています。
松本平では江戸時代より古い時期の建物の現存例が多くありません。そのようななか、田村堂は室町時代の洗練された手法を見ることができる建造物として、また「信濃日光」とよばれた若澤寺の遺構として貴重な文化財といえます。

見学するには

現在、田村堂は、松本市波田地区の上波田阿弥陀堂前に造られた覆屋(おおいや)の中に安置されており、覆屋の入り口ごしに見学できます。このページのトップに戻る


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