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孔雀文磬

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)くじゃくもん けい

  • 指定等区分 重要文化財
  • 指定年月日 昭和34年12月18日
  • 種別 工芸品
  • 所在地 松本市丸の内4-1(松本市立博物館)
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 鎌倉時代

今はなき寺院から打ち鳴らされた磬の音

磬の祖型は中国古代の石製打楽器で、これが後に金属の鋳造品となり、寺院で法要の際、導師の合図に鳴らす仏器に変わっています。形は左右均整の山形で、鈕(ちゅう)が二ケ所に付き磬架(けいか)に懸けられました。日本では奈良時代以来鋳造され、平安時代には密教の必須仏具の一つとなりました。中世に入ると他宗間でも用いられるようになりました。平安時代以後の和風磬は両面磬が一般的で、上下縁は弧線で構成され、中央に撞座(つきざ)、左右に装飾文が陽鋳されています。
この磬は青銅の鋳造品で、八葉複弁の撞座の左右に孔雀が配されています。孔雀は飛雲に乗せた蓮座の上に昂尾(こうび)の姿をとって立っています。鋳技は精緻で優れた作風を示しており、銘文はありませんが鎌倉時代前半期の作と考えられています。最大幅27.3センチメートル、総高17.1センチメートルでかなりの重量があります。

重文「孔雀文磬」は土の中から

松本市立博物館所蔵の「孔雀文磬(くじゃくもんけい)」が重要文化財に指定されたのは昭和34年(1959年)のことでしたが、当時は出土地等が不明で、所蔵の経緯が明らかではありませんでした。
平成元年から始まった松本市史編さんの過程で、この孔雀文磬について全市域に照会したところ早速に反応がありました。伝世品ではなく、松本市和田地区太子堂中野尻地籍からの出土品で、新村在住の新村隆史氏が昭和32年に発見したものだったのです。氏は昭和33年に博物館に寄附しています。磬はその後に東京国立博物館での展示会に出品されて大方の知るところとなりました。
出土状況について、特別な印象はなかったということでしたが、このとき一緒に黒釉のかかっている小壷を得ています。発掘地点はワサビ大根畑で、このあたりには専称寺の故地との伝承が残っています。なお、同畑は翌年に開田されてしまっています。
伴出した小壷は古瀬戸の茶入れで、南北朝時代の優品であり、有力寺院跡から発見されているケースが多くみられます。このページのトップに戻る


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