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木造阿弥陀如来及両脇侍像(真光寺)

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)もくぞう あみだにょらい および りょうきょうじぞう

  • 指定等区分 重要文化財
  • 指定年月日 昭和12年8月25日
  • 種別 彫刻
  • 所在地 松本市梓川上野1918
  • 所有者 真光寺
  • 時代区分 鎌倉時代~室町時代

人々に親しまれる「上野のお庚申さま」

梓川地区上野にある西牧山真光寺は、「上野のお庚申さま」と呼ばれ親しまれているお寺です。『信府統紀』によると、高野山金剛頂院の末寺で建仁年中に創建、天文15年(1546年)大檀那滋野讃岐守貞兼が中興し開基とされています。滋野氏とは、東信濃における古代からの氏族で、平安時代に東信地方から移住してきて旧梓川村の山麓地域にあった古幡牧を経営していました。国府松本の西方にあった牧場のため、西牧ともいわれ、後に土地の名をとって西牧氏と称するようになったといわれています。
木造阿弥陀如来坐像と両脇侍像は、昭和12年(1937年)に国の重要文化財に指定されました。鎌倉時代初期に滋野氏一族の安泰を願い造られ、阿弥陀如来坐像の像内背部には、「奉造立阿弥陀如来一体并に菩薩像二体、 信心大檀那滋野兼忠女大施主橘氏 (略) 建仁三年(1203年)大仏師僧□海、仏師僧栄海」と墨書されています。
木造阿弥陀如来坐像は檜材の寄木造で、すでに漆箔はかなり剥がれ落ち体部の一部に金箔が残るのみですが、大粒な切り付け螺髪、鋭い両目の切れ味などや、がっしりと安定したすがたかたちは鎌倉期の仏像造りの特徴を示しています。
右脇侍(向かって左)の勢至菩薩立像は、本尊と比べややひかえめな造形ですが、その作風から見て本尊とほぼ同時期のものと見られ、宝髻が高く気品ある顔つき、下膨ぎみの頬と、両肩の厚みと張りなどは、本尊と同種のおもむきがあります。腰をやや右に捻って立ち、臂釧(ひじわ)を彫出するのは鎌倉時代における昔の復興を示すものです。
左脇侍(向かって右)の観音菩薩立像は、室町時代、15世紀に造られたと推定され、おそらく勢至菩薩立像をまねたもので、手法は共通していますが、時代の隔たりを感じさせるものがあります。このページのトップに戻る


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