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旧野麦街道
(読み方)きゅうのむぎかいどう
- 指定等区分 長野県史跡
- 指定年月日 昭和59年(1984年)3月1日
- 種別 遺跡
- 所在地 松本市奈川ワサビ沢
- 所有者 国・松本市
- 時代区分 明治時代
飛騨と信濃を結ぶ、人と物と想いがかよった道
古くから往来のあった野麦街道は、飛騨と松本を結ぶ重要な道筋でした。江戸時代、松本と飛騨高山を結ぶ道は信州側では一般に「ひだみち」とよばれ、いくつかのルートがありました。松本藩が編さんした「信府統記」(しんぷとうき)には、「松本ヨリ飛騨高山ヘノ道程」として、松本から藪原(やぶはら)、寄合渡(よりあいど)、野麦峠を経て高山にいたる道が本道として記されていますが、松本から入山(にゅうやま)、黒川渡(くろかわど)、野麦峠を経るルートも利用されていました。この道が一般的には野麦街道といわれ、松本から野麦峠までの呼称となっていました。野麦峠を越える道は、当時天領であり代官所があった飛騨国高山と江戸を結ぶ道として利用されました。信濃からは米、清酒などが、飛騨からは鰤(ブリ 飛騨鰤とよばれました)、塩等の海産物や曲物(まげもの)、白木などが運ばれました。
明治に入り、岡谷地方に製糸業がさかんになり、大正時代の初めまで「あゝ野麦峠」で有名になった飛騨工女の往還路として賑わい、幾多の哀愁を残しています。
自動車時代に入ると、国有林内にある野麦峠へ向かっても、木材運搬のための林道が伸びていました。頂上はその歴史とともにまれに見る景勝地で、林道はやがて観光道路として利用されるようになりました。幸いなことに、ワサビ沢口からは旧野麦街道を外れて道路が敷設されたため、ワサビ沢から頂上までの道は原形が比較的よく残っています。このワサビ沢から頂上までのおよそ1300mの旧道が「旧野麦街道」として長野県史跡に指定されています。