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島立堀米の裸祭り
(読み方)しまだち ほりごめ の はだかまつり
島立堀米の裸祭り
- 指定等区分 長野県無形民俗文化財
- 指定年月日 昭和63年(1988年)3月24日
- 種別 風俗習慣
- 所在地 松本市島立堀米
- 所有者 島立堀米町会
疫病退散、五穀豊穣を祈る
裸祭りは、堀米(ほりごめ)地区の氏神である津島社の祭りです。津島社は江戸時代中期に尾張(愛知県)一宮の津島神社から勧請(かんじょう)されたといわれ、牛頭天王(ごずてんのう)をまつっています。牛頭天王は古代インドの守護神で、疫病除けの神としてまつられています。
以前は6月30日には宵(よい)祭り、7月1日に本祭りが行われましたが、現在は7月の第一土・日曜日に行われています。
宵祭りの日は、夕方になると津島社の前には大幟(のぼり)、中幟が立ち、子どもたちは五色の紙幟を社前の盛り土に立て、太鼓をたたいたり花火をあげてまつります。紙幟には「奉献津島牛頭天王」と筆で大きく書き、左に氏名と年齢を書きこみます。
本祭りの日は、子どもたちは堀米公民館で、さらし木綿のもっこふんどし姿になり、紙幟を持って津島社に行進します。津島社で疫病退散、五穀豊穣、厄除けなどを祈った後、6年生は親玉で大幟をかつぎ、4、5年生は中玉で中幟をかつぎ、1年生から3年生は小玉で五色の紙幟を持ち、親玉の「オンヤーサー」の掛け声に、中玉と小玉が「モンヤーサー」とこたえながら社を3周した後、地区内にくり出します。色とりどりの幟をかざした子どもたちは大きな声をかけながら集落のなかを通り抜けます。青々とした水田地帯をかつての集落境をめぐって1時間以上もかけて一周し、再び津島社に戻ります。津島社に戻ると幟をおさめ、かたわらの池に飛びこんで禊(みそぎ)をおこないます。
環境の変化に順応して祭りは続く
戦前までは一切を子どもたちがとりおこないましたが、現在は子どもと大人の協同の祭りになっている面もあります。また、女子も参加するようになり、ここにも時代の流れがのぞいています。ただし、男子のように裸になることはなく、行列に加わります。
かつて堀米では7月1日が農休みで、田植えが終わって一息ついていると子どもたちの元気のよい掛け声が聞こえてきました。家族は「それオンヤーサーが来たぞ」などと言って家の外に出て、成長した子どもたちの裸の姿を眺めるのが何よりの楽しみであったといいます。
現在は堀米の近くを長野自動車道が走り、水田が次第に宅地化するなかで、環境にうまく順応しながらこの祭りが伝承されています。また、この日にきゅうりを食べてはいけないという禁忌を現在でも守っている家もあります。これは津島社の神紋はきゅうりの輪切りに似ているため、梅雨時期でお腹をこわさないためなどといわれます。
裸祭りには自分たちの集落から疫病・悪霊を追い出そうとするエネルギーが感じられ、同様の主旨で7月8日におこなわれる城下町の八坂様の静に対し、動の祭りです。