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旧松本カトリック教会司祭館
(読み方)きゅう まつもと かとりっく きょうかい しさいかん
- 指定等区分 長野県宝
- 指定年月日 平成17 年(2005年)3月28日
- 種別 建造物
- 所在地 松本市開智2-6-24
- 所有者 松本市
- 時代区分 明治時代
県内では現存する最古の西洋館
フランス人神父クレマンが建設
明治10年代の後半に布教のため来松したクレマン神父は、定住して布教するための教会建設用地を旧三の丸武家屋敷跡に求めました。彼は、明治22年(1889年)、宣教師と伝道師のための住居である建物を自ら設計し、地元の大工さんに作らせました。これが、司祭館です。
平成元年(1989年)、司祭館の建っていた場所は道路拡幅改良事業により教会の再配置等が必要となりました。再配置の計画を知った市教育委員会は、この建物が専門家から高い評価を得ており、その意義を理解していたこともあって教会と交渉の結果、松本カトリック教会から司祭館の寄附を受け、現在地に解体移築復原することになりました。この事業は市が主体となり、民間の寄附を受けて実施されました。解体は平成2年、旧開智学校校舎西側の現在地に移築復元されたのは平成3年11月のことです。
北面にベランダを設ける
司祭館の構造は左右対称の二階建てで、各部屋に暖炉が設けられています。窓は普通のものより縦長で、観音開きの鎧戸(よろいど)がつき、ワインを貯蔵した地下室などを備えています。外の下見板張りの技法はアーリー・アメリカン様式の特徴を伝え、さらにイギリス積みレンガ基礎により建物を支えるなど、純西洋館の姿をとどめています。クレマン神父は自分の育ったところの伝統を重んじたのでしょうか。
建物の北面にベランダがあるのは、建築された当時、旧三の丸に残る土塁の北側に広がる林や家並みなどの景観が美しかったからといわれます。デッキチェアーに腰掛けてくつろぐクレマン神父の姿が想像できます。
なお、この司祭館はセスラン神父が明治34年(1901年)から27年の歳月を費やし、日本で初の本格的な日仏辞典である『和仏大辞典』を編さんし始めた場所でもあります。
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