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里山辺お船祭のお船

更新日:2023年9月6日更新 印刷ページ表示

(読み方)さとやまべ おふねまつり の おふね

  • 指定等区分 長野県宝
  • 指定年月日 昭和61年(1986年)8月25日
  • 種別 歴史資料
  • 所在地 松本市里山辺9町会
  • 所有者 里山辺9町会
  • 時代区分 江戸時代

民衆文化の繁栄を今日に伝える

お船が曳行されるお船祭

5月4、5日におこなわれる須々岐水(すすきがわ)神社のお船祭は、4日のお船作りから始まります。船倉から出した木造二階造りのお船に、舵棒を左右につけ、横木をはめて、ひきだすようにします。お船の前後にはめた木枠に、色彩や図柄のある幕を船のようにはりめぐらします。
本祭に若い衆や町会の人々が、太鼓や鈴の合図で神がよりつくとされるお船に集まると、先ずお神酒をいただきます。「大和をあげる」といって、お船を午前8時頃から、横笛と大太鼓と小太鼓にチャンチャンで囃(はや)し、そのうち上金井がレンボの祭り囃子(ばやし)で出発します。
お船の曳き方は、梃子(てこ)棒を持った若い衆が、左右の一対の車輪を梃子で動かします。お船の二階に立つ若い衆が、4名で「よいさ、ほいさ」のかけ声で手を振ります。お船の前後の梶棒に十数人ずつの若い衆がつき、青海原を左右にゆらせながら蛇行して進みます。
教育文化センター前の道路に、待機している薄(すすき)町のお船の後に、湯の原と新井と下金井のお船が続き、さらに荒町と西荒町のお船が曳行(えいこう)されます。集まったお船の後に、上金井と藤井と兎川寺(とせんじ)が続き午前10時までに勢ぞろいします。
勢ぞろいしたお船が、宮本である薄町のお船を先頭に参道を蛇行し、チャンチャンリツなどを囃し、午前11時までに神社の鳥居前まで進みます。お船が境内に入る前に、若い衆が鳥居の前で神主からお祓(はら)いを受けます。お船のお祓いがすむと、境内を蛇行して進み拝殿の脇から順にとめ休憩します。町会ごとに若い衆が、境内で女衆の接待でお神酒をいただき直会(なおらい)をします。
午後の浦安の舞が終わると、弊束(へいそく)をつけて輿(こし)に乗った御神馬像を神主がお祓いします。その後、年番の町会の若い衆の掛け声で御神馬像を担って、神主の家まで運びます。その後に薄町のお船から拝殿前に進み、船首を正面にしてお祓いを受けます。お祓いがすむと、薄町が祇園囃子(ぎおんばやし)のトーヒャリコとヒトツトヤを、荒町が花車囃子を囃すなどして、町会ごとに祭り囃子を奉納します。
拝殿前のお船のことが終わると、お船ごとにキリバヤシとよぶ祭り囃子を囃して境内を出て、薄町の若い衆とあいさつをかわします。お船の帰りは、帰り囃子やばかばか囃子を囃して、往路と反対方向に帰路につき解散します。上金井・藤井のお船は、往路と違った道を通って町会に帰ります。

意匠を凝らした技巧の見事さ

薄町のお船は、幕末期の立川富重と富種の兄弟と、富種の娘の松代の作と伝えられています。彫刻が一階の左右の側面にある窓の左右と組みの間や、二階縁下や虹梁(こうりょう)上にあり、9基のお船のなかでも数多くみられます。軸部を黒漆にして塗り、二階の内部の天井を漆箔の鏡天井としています。各部の飾り金具のうち、二階の縁周りの丸に竜と、高欄の擬宝珠(ぎぼし)柱の波がともにすぐれています。

湯の原のお船は、請負証文の記録から立川富重などの安政5年(1858年)の作であるといいます。お船の構造のうち二階柱が、滑車で上下できる仕組みで、参道に入る前に上げ、拝殿でお祓いが終わると下げられます。彫刻が二四孝と粟穂に鶉(うずら)、親子唐獅子などで数が豊富です。軸部が黒漆塗りと溜塗りで、二階を漆箔の鏡天井、縁の金具が竜と雲を現しています。

新井のお船は素朴で、彫刻の装飾がすぐれ、立川流と技法を異にしています。漆塗りは一階の軸部を木地仕上げの面朱とし、二階の軸部を黒漆と朱漆塗りとします。二階の軒天井が吹寄せの木舞天井に雷文の漆箔とし、内部の天井を漆箔の格天井としています。

下金井のお船は、湯の原のお船とよく似ていて、安政4年(1857年)の製作とされています。側面の新田義貞などの歴史上の人物の彫刻に、「原田大刀」の刻銘が見られ、明治27年(1894年)に立川流の原田蒼渓の彫ったものです。軸部は朱漆塗りで、二階の軒天井に雲の彫刻をつけ、内部が漆箔の鏡天井になっています。

荒町のお船は、彫刻と漆塗りの技巧を凝らし、明治中期の製作と推定されています。一階の側面の源頼朝などの歴史上の人物がみられ、立川東渓の作と伝えられます。漆塗りは、一階の軸部を溜塗りと黒漆を塗り、出窓の柱に青梅波文様の金蒔絵(まきえ)を施し、二階の軸部は朱漆と漆箔を併用しています。

西荒町のお船は、大正14年(1925年)の製作です。一階の側面の八岐大蛇、神武天皇、猿女が清水湧水の作で、二階の竜と鳳凰(ほうおう)が立川流です。主要な人物像の上には、菊、牡丹、梅鶯、柏の鷹などの大きな彫刻がみられます。一階の軸部は漆の溜塗りにし、二階の軸部は黒漆と漆箔を併用しています。

上金井のお船は、天保6年(1835年)に藩主戸田丹波守光年(みつつら)の金百疋下賜の記録と様式から、この頃の製作と考えられます。彫刻の主要なものが、一階の側面の波に鯉、波に亀などと、二階の欄間(らんま)に波と兎、波と千鳥、二階の柱に上り竜と下り竜があります。人物の彫刻がないことが、時代の古さを示しており、その様式が立川流二代目和四郎富昌の作と似ているといいます。漆塗りは、黒漆を主とし、それに面朱や漆箔をまじえて施されています。

藤井のお船は、刻銘と様式から天保末年から安政のころの製作とされ、組み物に工夫をこらしています。二階部分を45センチメートルくらい、上下できる仕組みです。彫刻には一階側面に七福神や仙人、二階の虹梁上に竜、末に鶉(うずら)などがみられ豊富です。漆塗りは黒漆を主にして、朱漆と漆箔をまじえています。

兎川寺のお船は、お船に使われたからくり人形の墨書と彫刻が立川和四郎富昌の作風と似ているので、文政末から天保初年の製作と考えられています。彫刻は翁山姥と牡丹唐獅子と、竹に虎、竜などです。漆塗りは黒漆と溜塗りをまじえ、二階の縁の外側に螺鈿(らでん)を施しています。二階の擬宝珠柱に、鶴亀の金具をつけています。このページのトップに戻る


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