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木造千手観音立像(旧海岸寺)

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)もくぞう せんじゅかんのん りゅうぞう (きゅうかいがんじ)

  • 指定等区分 長野県宝
  • 指定年月日 昭和47年(1972年)3月21日
  • 種別 彫刻
  • 所在地 松本市入山辺東桐原
  • 所有者 海岸寺千手観音保存会
  • 時代区分 平安時代

信濃国山辺の郷に海岸寺と称せし寺あり

海岸寺は、江戸時代すでに寺運が衰え、里山辺の兎川寺(とせんじ)の一僧堂となっていましたが、創始のころは24坊を持つ真言宗の大きな寺で、ふるくは海岸寺沢を遡った弘法平と呼ばれる場所にあったと伝えられています。しかし、創始の時期、開基・開山は明らかではありません。山号を桐原山とも称したことから、桐原を中心に栄えた古族の創始と思われます。
江戸時代となって天和3年(1683年)、この仏像の修理が行われました。この修理は松本藩主水野隼人正忠直の時で、忠直は自ら大檀那(だんな)となり、代官清水仁左エ門以下を命じて修理させています。仏像の台座にはこの修理の時の墨書銘があります。この墨書銘によりこの仏像についての所伝が古かったこと、また修理が城主を大檀那としておこなわれたこと、修理の仏師が京都の有名な大仏師の子であることなどがわかっています。
海岸寺は、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際、本寺の兎川寺とともに廃寺となりましたが、仏像のみは旧寺地に堂を作って安置し、東桐原・西桐原両地区の人々によって保存されています。
本像は内刳(うちぐり)を施さない古い技法による一木造で、像高は157センチメートルです。通形の四十二臂の千手観音像です。平安時代中期の作で、製作の手法によくその特徴が現れています。松本市内では放光寺の仏像とともに最古に属するもので、美術的にも資料的にもその価値は高いものです。このページのトップに戻る


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