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弘法山古墳出土品
(読み方)こうぼうやま こふん しゅつどひん
弘法山古墳出土品
- 指定等区分 長野県宝
- 指定年月日 平成5年(1993年)8月12日
- 種別 考古資料
- 所在地 松本市中山3738-1
- 所有者 松本市(考古博物館)
- 時代区分 古墳時代
松本平にクニ誕生
弘法山古墳の出土遺物は石室直上に置かれていた土器と石室内にあって遺骸に添えられた副葬品とに大別されます。副葬品は鏡1面、武器は鉄剣3、銅鏃1、鉄鏃24点、工具は鉄斧とやりがんな各1点と品目は限られています。この他に装身具としてのガラス小玉738点があります。
鏡は面計11.65センチメートルの舶載獣帯鏡(はくさいじゅうたいきょう)で、二組の竜虎が薄肉彫りで表現されています。「上方作竟」(じょうほうさくきょう)という銘文によれば、この鏡は皇帝直属の工房で製作されたことになります。3口の鉄剣のうち2口は被葬者の両側に添えられていましたが、頭部上辺に斜めに置かれた1口は槍かもしれません。短剣の場合、槍との見分けはつけがたいです。いずれの剣にも黒漆をかけた木の鞘(さや)がかぶせられてありました。鉄鏃の中には型式的に最古式とされる定角式鏃が10点近くも含まれています。工具の中の鉄斧は石室北端より発見されていて、棺を想定した場合、その位置は棺の外となります。ガラス小玉ではカリを主成分としたコバルトブルーのものが主体をなしています。石室の直上から集中して発見された土器片は1000点を越えています。接合・図上復元された個体は壷8、高坏10・器台2・坩(つぼ)・甕各2、手焙型(てあぶりがた)土器1の25点となっています。古墳時代の土器としては最古式に属しており、特に東海地方土器の様相が濃いものです。もっとも仔細に調べると東海地方土器の中に畿内土器の要素も入っています。
弘法山古墳が発掘された昭和49年(1974年)から現在までの間には考古学研究は進み、遺物の意義・位置は定まってきています。獣帯鏡は卑弥呼(ひみこ)の鏡ともいわれている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)に先行する鏡の式で、朝鮮半島の楽浪(らくろう)・帯方(たいほう)郡から数面の出土があるところから同郡を抑えていた公孫氏が魏によって滅ぼされた景初2年(238)以前に帯方郡に入貢していた倭の首長たちが入手した鏡だろうと論ぜられています。また、一口の剣を槍と見ることの意義は、槍は特別な修練を必要とせず、農民にも使える武器なので、弘法山古墳の被葬者は闘うことを専らとする兵士を常備してはいなかったとも考えられます。彼は在地の首長だったと考えられます。
副葬品と土器の年代は3世紀代にさかのぼり、その時期に築かれた弘法山古墳は松本平にクニの生まれた証となります。クニが生まれるときには人の動きが激しいです。石室上より発見された土器の様相はそのことを示して余りあります。
松本市立考古博物館
(松本市中山3738-1 電話0263-86-4710)