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木造十一面観音立像(放光寺)

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)もくぞう じゅういちめんかんのん りゅうぞう (ほうこうじ)

  • 指定等区分 長野県宝
  • 指定年月日 昭和49年(1974年)11月14日
  • 種別 彫刻
  • 所在地 松本市蟻ヶ崎1283
  • 所有者 放光寺
  • 時代区分 平安時代

城山の古仏厄除観音菩薩

放光寺は京都知恩院の末寺でしたが、その創始は平安時代の初期と伝えられています。寺の名前が地名となっているほどの古刹(こさつ)であり、中世の資料の中にもこの地名がみられます。
江戸時代の初め石川氏の松本城改築に際し、不協力の理由で寺運衰えたといわれますが、由緒深い寺として信濃百番の観音の札所に選ばれたり、松本三十三番の観音の札所に選ばれています。明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際には当十一面観音をはじめほかの仏像を横田の正行寺に預け、仏像棄却の難を逃れました。明治11年(1878年)松本町川北の大火の際、正行寺も灰燼に帰しましたが、この十一面観音像は運びだされました。その後大正13年(1924年)、山梨県中巨摩郡の東光院が縁あって放光寺の旧地に復興した際、正行寺に預けられた十一面観音を本尊として迎え、放光寺の寺の名前をも復しました。
現在、本像は秘仏として放光寺観音堂に安置されています。桂を用いた一木造で、像高は164センチメートルです。若干の後補や修理がなされていますが、平安時代後期のものです。現在も厄除観音として多くの人々の信仰を集めています。松本地方としては入山辺旧海岸寺の本尊の千手観音とともに最古に属する木造仏であり、その歴史的背景を知るうえでも貴重な仏像です。このページのトップに戻る


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