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木造奪衣婆坐像(牛伏寺)
更新日:2021年12月20日更新
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(読み方)もくぞう だつえば ざぞう (ごふくじ)
木造奪衣婆坐像(牛伏寺)
- 指定等区分 長野県宝
- 指定年月日 昭和60年(1985)11月21日
- 種別 彫刻
- 所在地 松本市内田2573
- 所有者 牛伏寺
- 時代区分 室町時代
われはこれ三途の川の嫗(おうな)なり
奪衣婆(だつえば)は「葬頭河(しょうずが)の鬼婆」ともよばれて恐れられてきましたが、三途(さんず)の川のほとりにいて川を渡ってくる亡者の衣類をはぎ取って、河辺の衣領樹(えりょうじゅ)に上って待っている懸衣翁(けんえおう)にわたします。翁はそれを枝にかけて枝のたわみ方によって亡者の生前の罪の軽重を測ります。そこから亡者は閻魔(えんま)の庁へ送られることになるといいます。こうしたいい伝えから、いつ頃からか奪衣婆像は十王像とともに置かれるようになりました。
この奪衣婆像は像高77センチメートル、檜(ひのき)材の寄木造(よせぎづくり)、彫眼。鼻先と両足先が欠けており、胡粉の彩色も落ちています。像容は不気味に大きな目玉を剥き、薄笑いを頬に怪奇な大口を開き、あばら骨の浮き出た痩身の老鬼女が、すさまじいばかりに写実的に表現されています。胎内の墨書銘によれば、室町時代、応永29年(1422)波多腰清勝によって造立され、当時は小池郷牛伏寺大門の地蔵堂にありました。時代的にも像容からも全国的に数少ない作として注目されます。