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エリ穴遺跡出土品

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

(読み方)えりあな いせき しゅつどひん

  • 指定年月日 令和2年3月16日
  • 種別 考古資料
  • 所在地 松本市中山3738-1(松本市立考古博物館)
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 縄文時代

途絶えることなく続いた集落

エリ穴遺跡は松本市域の南東部、鉢伏山麓の内田地区にあります。舟沢川と塩沢川の合流する場所の東側一帯(現在、重要文化財 馬場家住宅があるあたり)に広がり、縄文時代中期(約4,500年前)から晩期(約2,300年前)までの生活のあとが見られる集落遺跡です。後期後葉(約3,400年前)から晩期中葉(約2,600年前)にかけて遺跡が著しく減少する甲信地域のなかで、途絶えることなく続いた数少ない集落のひとつだったと考えられています。この遺跡は古くから土製耳飾が出土することで有名でしたが、平成7年に大規模な発掘調査を行ったところ、多量の遺物が出土し、遺跡の全容が明らかになりました。

技巧的に優れた造形の出土品

発掘調査の結果、全国最多となる2,643点の土製耳飾のほか、人面付土版など多数の土製品・石製品が出土し、全国的な注目を集めました。これらの出土品のうち、484点が平成31年に松本市重要文化財に指定され、その後令和2年3月16日には485点が県宝に指定されました。

土製耳飾
耳たぶに開けた穴に装着する装身具で、縄文時代後期末葉(約3,200年前)から晩期にかけて、関東地方を中心に東日本の各地で出土しています。特にエリ穴遺跡からの出土数は際立っており、出土状態が明らかなまとまった資料として、大きな意義を持っています。その形態は臼形、環形を主に、彫りが施されたものから無文のものまで精粗さまざまで、朱で塗られたものも多く出土しています。出土した耳飾は17以上の系統に分けられ、さらにそれぞれの系統の成立から衰退まで、製作技法や装飾の変化を明らかにすることができます。このように土製耳飾の変化を読み取ることができる資料は、全国的にも他に類をみないものです。
造形は技巧的に優れ、縄文時代の繊細で緻密な工芸技術の一端をよく示しています。文様は多様性に富み、美術工芸的な価値も高く、縄文人の精神的な意識が反映されたものと考えられます。

土製品その他
土偶などの土製品は東海から関西の「分銅形土偶」をベースに関東の「山形土偶」等の要素が加わった本遺跡独自の「顔面付分銅形土偶」や、東北の「遮光器土偶」の影響を受けたものが見つかっています。このほか、石棒や石刀、石冠なども出土しており、出土品から当時の人々の精神性や生活の様子を読み取ることができます。土器についても、甲信地域の後期上ノ段式等のほか、関東の晩期安行式や東北の晩期亀ヶ岡式の影響を受けたものもあります。
縄文時代後期から晩期にかけて集落・人口の著しい減少が進んだ甲信地域において、エリ穴遺跡の土製耳飾をはじめとした出土品は、その厳しい生活環境のなかで生き抜いた人々の精神世界を解明する手がかりとして重視されています。加えて、甲信地域の縄文時代後・晩期の文化は、日本列島のさまざまな他文化との交流の上にできあがっており、当時の儀礼や交易および社会の結びつきを究明する上で学術的価値も非常に高く、貴重な資料です。このページのトップに戻る


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