本文
古代より人々の集うまち
~ふれあい広がる大日堂~
認定年月日
平成31年(2019年)2月26日
保存活用団体
松本市沢村町会
構成する文化財(関連文化財群)
大日堂
天文20年(1551)に小笠原長時が武田軍と戦う際に戦勝祈願をしたと伝わる大日堂です。ここにはかつて修験者がいて、今も大日如来、不動明王、毘沙門天などが安置されています。
道祖神
大日堂敷地内にあるふたつの道祖神はともに安政6年(1859)とあります。
首貸せ地蔵尊
松本城主、水野忠清が三河の国から運んで来て安置したと言われている。この地蔵尊は子どもの身代わりとなって首が切り落とされたという。この首を借りていって祈願すると、子どもの病が治るというので、首は方々へ借りられた。たまたま首を返さない人がいて長く「首なし」でいたが、近くの石工が新しい首を造って差し上げた。
数珠回し
かつては「八日念仏」として2月8日に大日堂で行なわれていたが、今は公民館で行われている。中信地区でも貴重な祭礼で、城北14町会でお数珠廻しがあるのは沢村町会のみである。
賢忠寺跡
本城主の水野忠清は、父忠重の霊牌安置の場所を沢村に定め、正保元年(1644)に寺を建て、長源寺と称した。その後、正徳3年(1713)に賢忠寺と改称。寺は廃仏毀釈により明治5年に廃寺となった。
大門沢川
大門沢川、西大門沢川、東大門沢川に沿った地域を大門沢川にちなみ、沢村と称した。
沢村おんど
国宝松本城400年まつり(1993)に披露後、途絶えていた沢村音頭を復活する取り組みを行っている。オリジナル浴衣や子ども用Tシャツを作成し、夏休みラジオ体操時に練習をして地元納涼祭で輪になって踊ったり、城北公民館の文化財で披露し、地区の伝統芸能の復活と保存に努めている。
ストーリー
東西の大門沢川が合流する一帯は水の便に恵まれ、縄文の昔から人が集まり、集落遺跡や古墳が残ります。戦国時代に小笠原長時が戦勝祈願をしたと伝わる大日堂にはかつて修験者がいて、今も大日如来座像などの諸仏が安置されています。毎年3月には「数珠回し」で人々は地域の安全を祈ります。また、この地は城下町の北のはずれで、沢村の村ざかいには道祖神がまつられています。松本城主水野忠清に由来する賢忠寺跡や首貸せ地蔵尊は、松本城との関係を物語る文化財です。
これらの文化財群からは、古代から現在にいたる人々の信仰や地域の営みを浮かび上がらせます。
活動
歴史講演会を通して文化財の価値をみんなで学び、大日堂のケヤキの落ち葉で子どもたちと焼き芋会をしたり、復活した「沢村おんど」を各地で披露することなどで、文化財を確実に後世に伝え、ふれあいを広げ、大日堂を核にした地域づくりをより一層進めていきます。さらに英語案内版やQRコードを利用した情報発信なども一層充実させていきます。
大日堂の清掃
大日堂の公開