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鉄道給水源跡
地の利を活かした蒸気機関車の井戸
明治35年(1902)6月、篠ノ井線(篠ノ井-松本間)の開通と共に松本駅が開業しました。蒸気機関車に使用する大量の水を確保するため、地下水が豊かな埋橋(うずはし)にレンガ造の井戸を設置し、給水源として利用されました。
鉄道給水源から松本駅までは1.5km離れており、8.5mの高低差を自然流下で引水しています。地下にある井戸を兼ねた貯水槽は、大きさ9.23m×9.14m、深さ約2m、壁厚0.6~1.52mのレンガ造(イギリス積み)で、壁面に等間隔で集水孔が設けられています。地上には、かまぼこ型の建造物がありました。
鉄道車両は、時代と共に蒸気機関車、ディーゼル車(無煙化)、電車(動力の電化)へと変わっていきます。昭和40年(1965)に中央東線(東京-塩尻間)が全線電化し、電車基地完成により給水源は廃止になりました。その後、給水源跡は「レンガ山」と呼ばれましたが、昭和57年(1982)に地上部が取り壊され、令和6年度の県道拡幅工事により地下遺構が撤去されました。
歩道上に移設した西面レンガ壁は、寸法(平均)が長さ222.9mm×幅106.0mm×厚さ57.6mm、目地幅6.9mm、赤茶色の素焼きレンガが使われ、セメント目地です。
現在も鉄道に関連したレンガ構造物は、篠ノ井線、中央線に見ることができます。
浅間線松南高校前(筑摩鉄道あさま線開業記念葉書)藤野氏所蔵
左に当初と思われる給水源が写る
鉄道給水源地下内部 壁面に集水孔が等間隔に入る
記録保存調査報告書
鉄道給水源跡記録保存調査報告書(R6) [PDFファイル/17.38MB]
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