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立石清重関係文書

更新日:2023年8月25日更新 印刷ページ表示

(読み方)たていしせいじゅう かんけいぶんしょ

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 令和4年3月29日
  • 種別    古文書類
  • 所在地   松本市鎌田2-8-25(松本市文書館)、蟻ケ崎2-4-40(旧開智学校校舎)
  • 所有者   個人・松本市
  • 時代区分  明治時代

旧開智学校の棟梁、立石清重に関する文書1428点

立石清重は文政12年(1829)6月15日に松本東町の立石家の次男として生まれました。父の清三郎を継いで大工を生業とし、明治27年(1894)8月23日に没するまで、生涯、大工としての仕事を続けました。

立石清重は御殿をはじめとする松本藩の建設事業に広くかかわっており、社寺や住宅などに関する記録も多くみられることから、仕事の対象は多様であったと考えられます。近代的な施設の多くを擬洋風建築として表し、特にその代表作である開智学校は、明治17年(1884)に米国のニューオリンズで開催された万国工業博覧会で写真と図面が出展されるなど高い評価を受けていたことが推測されます。

本文書は、建築に関する史料がその大部分を占め、立石清重が手掛けた建物の図面や仕様書をはじめ、建設の請負書や現場とのやり取りに関する書簡などを含んでいます。また、史料の端々には、墨描きや鉛筆描きの生々しいスケッチも残されており、創造の過程を読み取ることもできます。本文書を通じて、地方で擬洋風建築を手がけた代表的な大工として知られる立石清重の仕事の具体像を読み解くことができ、松本における建築およびそれを手がけた大工の近代化の実態を伝える史料群として極めて貴重です。


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