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松本城二の丸御殿跡 1979~1984年(昭和54~59年)
史跡公園整備のための調査
松本城二の丸御殿は、天守・本丸御殿などと同じく16世紀末から17世紀初め頃(石川氏時代)に建てられました。
享保12年(1727)に本丸御殿が焼失した後は、城主の政務を司る正庁となりました。
明治維新後は筑摩県庁として使用されていましたが、明治9年(1876)に焼失し、跡地には長野地方裁判所松本支部庁舎が建てられました。
昭和52年(1977)「松本城中央公園整備計画」の策定にともない、裁判所庁舎が移転された後、松本城二の丸御殿跡の発掘調査が昭和54年から昭和59年にかけて行われました。
地表から裁判所庁舎関係の土層を除くと、礎石・溝・水道施設などの遺構が出土しました。
これらを、松本市立博物館所蔵の「信濃国松本二之丸御殿之図」と照合するとほぼ正確に一致することがわかり、この図をよりどころとして調査が進められることになりました。
遺構からは陶磁器、瓦、銭、硯など江戸時代の様々な生活用具が出土しました。
なかでも厨房附近で出土した焼塩壺と呼ばれる食卓塩の容器は、江戸時代に上流階級が使用したもので、御殿での食の一端がうかがえるものです。
また、アワビ、ハマグリの貝殻や、ブリやタイの骨などが出土しました。
ブリは松本地方の年越し魚「飛騨ぶり」として昔から重宝されており、当時の海産物の流通経路を物語るものです。
現在、二の丸御殿跡の公園には、6年間の調査成果により、地面に御殿の間取りが正確に表現されています。
カメラでパチリ!
発掘風景(二の丸北東側礎石群)
焼塩壺
出土した魚の骨
出土した貝類
発掘調査報告書
『松本城二の丸御殿跡』
松本市教育委員会 1985年
※「全国遺跡報告総覧」にはPDF未掲載です。ご了承ください。
場所を地図で確認
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Facebook掲載(初出)
2023年6月2日