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宮北遺跡・車塚古墳 1981年(昭和56年)
信濃国府の所在地探索のはじまり
宮北遺跡は、松本市街地の東、惣社(そうざ)地区にある伊和(いわ)神社から松本民芸館のあたりまで広がる大きな遺跡です。
昭和56年(1981)、伊和神社の北西約300mの遺跡の端に近い場所で市道建設工事が計画されると、松本史談会から「信濃国府跡が存在する可能性がある地域のため調査をしてほしい」と要望があり、確認のための発掘調査が行われました。
遺跡内の4カ所で合計約100平方メートルの範囲を調査した結果、明治時代以降の建造物の犬走りや水路と思われる遺構と、平安時代や弥生時代の遺物が出土しましたが、いずれの地点でも国府に直接結びつく手がかりは発見できませんでした。
しかし、宮北遺跡が国府と同時代の遺跡であることは確認されました。
また、調査の報告書には、宮北遺跡内にある車塚古墳について、住宅建設に伴う立ち会い調査を同時期に実施した結果も掲載されています。
この古墳は惣社公民館の南側にあり、明治時代から前方後円墳あるいは前方後方墳ではないかと考えられていました。立ち会い調査では古墳の葺石(ふきいし)を確認できましたが、地表は一面墓地となっているため、現在も実態はよくわかりません。
カメラでパチリ!
建造物の犬走りと推定される礫列(A地区)
土器出土状況(B地区)
水路と推定される礫(れき)列(C地区)
車塚古墳の実測図と切図(明治初年のもの)
発掘調査報告書
『松本市惣社宮北遺跡 緊急発掘調査報告書』<外部リンク>
松本市文化財調査報告25
松本市教育委員会 1982年
※書名をクリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。
場所を地図で確認
※地図をクリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。
Facebook掲載(初出)
2023年2月22日