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新村・島立条里的遺構 1980年(昭和55年)
大昔の開発の跡か?
「条里」とは、古代から中世にかけて行われた土地区画制度です。
新村・島立条里的遺構は、東西約3km、南北約1.5kmに及ぶ広さです。
昭和33年(1958)に一志茂樹氏が調査をおこない、水田・集落の配置状況から条里制度の跡が残されているとされました。
昭和55年(1980)、遺構にあたる新村地区の下新(しもにい)・東新(ひがしにい)で、ほ場整備事業にともなう発掘調査が行われました。
表土の下の、梓川の由来とみられる堆積した土砂を取り除くと、現在の水田面から1mほど下に、平安時代の住居跡1軒、平安時代の土器が混じる集石遺構2基が確認されました。
結果として、この調査による遺構・遺物の出土は少なく、調査地周辺の土地区画が条里制度によるものかどうかを明確に示すことはできませんでした。
一方で、発掘調査と並行して、用水路の調査、江戸時代の古文書調査などが進められ、新村地区の水田開発の歴史を総合的に考える上で貴重な資料となりました。
カメラでパチリ!
調査地風景 画面右側の草むらに水路があります。
重機によるトレンチ掘削
第1号住居跡
発掘調査報告書
『松本市新村条里的遺構 緊急発掘調査報告書』<外部リンク>
松本市文化財調査報告22
松本市教育委員会 1981年
※書名をクリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。
場所を地図で確認
※地図をクリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。
Facebook掲載(初出)
2023年2月1日