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松本工業高等学校遺跡(筑摩北川原遺跡) 1978年・1980年(昭和53年・昭和55年)
付近に古代の集落か?
「松本工業高等学校遺跡」という遺跡名は、1978年(昭和53年)の第1次発掘調査時のもので、現在は「筑摩北川原遺跡」に変わっています。扉峠付近を源流として東から西へ流れる薄川の左岸、筑摩地区の松本工業高等学校のあたりに広がる遺跡です。
発掘調査は、高校の格技室建設に伴い行われました。
学校の協力を得て生徒も参加した調査の結果、江戸時代初期と思われる畑の土留めの石積みが見つかりました。
また、古墳時代から平安時代の遺物が出土しましたが、住居跡などは確認されませんでした。
高校のある一帯が低い土地で、明治時代以降に別の場所から造成土などが運び込まれた結果、これらの遺物が混入したものと推測されます。
この遺跡は1980年(昭和55年)にも、プール建設に伴い、再び発掘が行われましたが、住居跡などは出土しませんでした。
しかし、出土した須恵器片などは摩滅が少ないことから、これらは川などで遠くから運ばれてきたものではなく、近くにあった古代の集落で使われていたものと考えられます。
カメラでパチリ!
調査風景(1978年)石積みが画面を斜めに横切っています。
発掘風景(1980年)
発掘調査報告書
『長野県立松本工業高等学校遺跡 緊急発掘調査報告書』(第1次)<外部リンク>
松本市教育委員会 1979年
『長野県立松本工業高等学校遺跡 緊急発掘調査報告書』(第2次)<外部リンク>
松本市教育委員会 1981年
※クリックすると奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」にリンクします。
場所を地図で確認
※地図をクリックすると「松本デジタルまっぷ」の「遺跡地図」にリンクします。
Facebook掲載(初出)
2022年11月30日