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明治22年4月1日、町村制の施行により、村井町・小屋村・野溝村・平田村が合併して芳川村が発足しました。
この地図は、大正2年に大日本帝国陸地測量部が発行した初版の1/25,000の地図です。
村井町、小屋、野溝、平田本郷・茶屋・新茶屋にしか住宅地はなく、田んぼと桑畑、原野が表示されています。まるで、江戸時代のままの姿の様です。
芳川村全図(大正2年12月28日発行) [PDFファイル/13.45MB]
昭和25年4月1日、芳川村と寿村の組合立中学校として創立された、組合立筑摩野中学校。設立当初は校庭の川原石拾いと整備が主な作業だったとか。
この地図は昭和25年から26年にかけて、生徒たちに自分の地域に残る地名や旧所などを調査させて、芳川村・寿村学校組合が発行した地図です。大正2年発行の地図と比べると、新しい道路もできており、戦後の復興が始まろうとしている様子が読み取れます。
芳川村・寿村村図(昭和26年4月5日発行) [PDFファイル/7.43MB]
2024年に完成したこの地図は、最新の住宅地図に小字名をレイヤーで重ねて落とし込み、さらに地区内を流れている水路・堰名を調べられる範囲で調査し、加えた図です。
昔のことを知っている古老たちが亡くなっており、水利組合に残っていた史資料や古地図等を調査しながら、10年がかりで作成しました。若干曖昧な箇所も残っていますが、現在知りえるところは載っています。