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家具・装飾品

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

松本家具・松本民芸家具

松本家具・松本民芸家具の画像

 長野県は木材が豊富であり、その種類も多く良質です。加えて松本地方は空気が乾燥し、風通しが良いため、木材の乾燥に適しており家具作りに最適な場所です。このように昔から恵まれた自然の中で生まれた松本家具の歴史は古く、その誕生は安土桃山時代にさかのぼり、昭和51年には、家具業界で初めて通産大臣から伝統的工芸品に指定されました。
 松本家具(松本民芸家具)の主要な材料であるミズメ桜(梓の木)は、硬くねばり強い、家具の用材としては大変適した木です。しかしその硬さゆえ、加工には機械を寄せ付けず、職人の手によってのみ家具として生まれ変わることが出来ます。
 良質な材料と鍛え抜かれた職人の技によって生まれる松本民芸家具は、美しく、堅牢であり、使うほどに味わい深く、ずしりと胸を打つ重みを持った、生涯の友と呼べる家具です。

信州からまつ家具

信州からまつ家具の画像

 昭和34年頃から、長野県工業試験場におけるカラマツ材の脱脂・加工技術の研究成果をもとに、長野県家具工業会によるからまつ家具の製造が始まりました。昭和44年に「からまつ家具研究会」が発足し、官民一体でカラマツの特徴に応じた部材加工、塗装、組立など製造技術の向上に取り組みました。平成16年には「針葉樹家具開発研究会」が設立され発展してきました。
 木目が明瞭で美しく、柔らかい風合いを持つ長野県産のカラマツ材を用いて、「ほぞ」「ダボ」等の部材接合や面取り、表面の研削・研磨などの加工技術により、さまざまな箱物家具、脚物家具を製造しています。

手作り家具

手作り家具の画像

 岳都松本は江戸・明治・大正・昭和と、それぞれの時代を反映した数多くの家具類を生産してきました。その中で木と道具と人間が一番近い関係だった時は機械が導入される以前のことだと思います。
 「工房春夏秋冬」は実験工房です。先人たちの知恵に学び、人間の手で作る仕事の重要性と技術を次世代へ伝えるため、丸太の製材から加工・仕上げまで全てノンモーターで行っています。

指物

指物の画像

 指物(さしもの)とは、組み手を見せずに木と木を組み合わせて小物の家具を作る工法です。育まれた材料の目を活かし、あえて余分な装飾を省いた粋な作品を手仕事で作っています。

松本てまり

松本てまりの画像

 てまりは、江戸時代の古くから伝えられる手工芸品の中でも、特に民俗資料として高く評価され、その技法を守り伝えられているものの一つです。
 松本てまりは、山紫水明の信州松本において、江戸時代中期(1750年頃)、松本藩の教養ある婦人の指先から生まれたもので、当時この地方の童女たちの玩具としてもてはやされたものです。その文化的技法は今日なお連綿と守り伝えられ、現在のてまりも当時のままのものを忠実に復元し、それに近代的な色彩感覚を盛ったものです。
 松本市立博物館には江戸時代のものが保存され、今日見ても、当時のものがいかに優れたものであったかを伺い知ることができます。
 現在は、松本てまり保存会の皆さんが技法を伝えています。

松本姉様人形

松本姉様人形の画像

 松本姉様人形(まつもとあねさまにんぎょう)は、江戸時代から松本の城下町で作られてきた和紙人形で、江戸姉様、京姉様とともに古くから全国に知られていました。日本髪の美しさを強調した人形で、かつては、母親が余った布や紙から作って子どもに与え、少女たちがままごとや着せ替え人形のようにして遊んだと言われています。
 商品化されたのは江戸時代末期からで、昭和初期には、子どもたちの日常の遊び道具でした。戦後はほとんど作られなくなりましたが、市内の人形店が博物館に所蔵されていた資料からその技法を復活させ今日に至っています。郷愁を誘う民芸品として、土産品や愛好家の収集品となっています。

七夕人形

七夕人形の画像

 信州や越後では、江戸時代から七夕行事(月遅れの8月)に、人形を軒先につるして飾る風習がありました。松本地方の七夕人形は、板製、紙製とさまざまで、板のものには着物を着せて飾っていました。特徴的なことは、いずれも男女の顔が描かれていることで、市立博物館が所有する七夕人形コレクションは、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
 戦後は人形を飾る家庭も少なくなりましたが、市内の数店が人形作りの技法を継承しており、現在に至るまで生産を続けています。近年は古くからの行事を見直す気運も高まる中、旧暦の七夕にあわせて商店街や通りに七夕人形が飾られ、博物館でも特別展示が行われるなど、松本の夏の風物詩としてふたたび定着しつつあります。

松本押絵雛

松本押絵雛の画像

 押し絵雛は、江戸時代中期初め、武家の娘の手習いとして、京都から全国に伝わり、松本では、文化・文政期から天保期に、武家の内職として製作されるようになりました。明治初期には、松本の一大産業に成長しましたが、明治21年(1888年)の大火をきっかけに職人が減少し、昭和初期には技術を保有する人が途絶えてしまいました。
 しかし、博物館や民家に残る押絵雛を参考に、松本押絵雛研究会がその技法を復活させ、現在にいたっています。節句等のお祝いにも使われ、県内はもちろんのこと、県外や海外でも人気があります。

半立体盛絵

半立体盛絵の画像

 半立体盛絵(はんりったいもりえ)は、百瀬善明氏が戦後、考案、開発した工芸品です。まず、型枠を彫り、型の中に胡粉(ごふん)をつめ、型抜きしたものに着色を施すという手順で製作されます。松本城の盛絵も制作しますが、百瀬さんの盛絵でもっとも人気があるのが朝焼けの「赤富士」で、富士山周辺の観光地で売られ、特に、海外からの観光客に人気があります。このページのトップに戻る


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