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旧制高等学校記念館の概要
沿革
旧制高等学校記念館正面
開館20周年を迎えた平成25年4月、当館は常設展示を一新してリニューアルオープンいたしました。
初めて旧制高等学校と出会う方にも親しみやすい展示になるよう、学生姿の切り抜き人形による解説板・バンカラ服の着用体験コーナー・寮歌データベース・映像シアターなどを配置するなど、見どころがいっぱいです。皆さまのご来館を心よりお待ち申しあげます。
旧制高等学校
大正末期の松本高等学校校舎
明治時代、日本は近代国家をつくりあげるため西欧文明を急速に取り入れる必要があり、その研究と教育の最高機関として帝国大学を設けました。大学では西欧文化を理解する上で外国語による高度な教育が必要となるため、その予備過程を必要とし、明治19年(1886年)中学校令が公布され、高等中学校、後の高等学校(旧制)が設けられました。
旧制高等学校は、帝国大学へ進学するための予備課程でありながら、独立し、自由な個性あふれる校風を持ちあわせていました。生徒は外国語の習得をはじめ、西欧の哲学、文学、思想を吸収し、スポーツにうちこみ、自分の可能性や将来の進むべき道を見出すことに情熱をそそぎました。旧制高等学校の卒業生には著名人も多く、近代日本のリーダーとして大きな役割を果たしています。
戦後、教育基本法の公布により、自由な人間形成の場であった旧制高等学校は廃止となり、昭和25年(1950年)3月の卒業生を最後にその歴史に幕を下ろしました。
松本高等学校
あがたの森文化会館(現在)
明治32年(1899年)以来20年の歳月をかけて松本市は高等学校誘致活動を展開し、大正8年(1919年)ついに松本高等学校が誕生しました。唐木順三、臼井吉見、辻邦生、北杜夫らの馴染み深い文学者のこの学び舎で青春を謳歌しました。
昭和25年(1950年)、松本高は31年の歴史に終止符を打ち新制大学(現信州大学)に生まれ変わりました。校舎は、信州大学文理学部、人文学部の学び舎として利用され、昭和48年(1973年)の信州大学移転後も市民や同窓会の保存運動により現存し、「あがたの森文化会館(旧制松本高等学校校舎、旧制高等学校記念館に隣接)」としてたくさんの市民の方々に活用されています。
ヒマラヤ杉とともに保存された本館と講堂は、大正期の代表的木造洋風建築で学校建築史上貴重な建造物として評価され、平成19年6月18日重要文化財に指定されました。
松本高等学校記念館から旧制高等学校記念館へ
昭和56年(1981年)7月、校舎内の一部に「松本高等学校記念館」が開館し、松本高等学校時代の資料を展示しました。その後、松本高校開校以来60年の歴史をもつ思誠寮が取壊されたことから、教育史上大きな役割を果たした旧制高等学校の資料の散逸、滅失が危惧され始めました。そこで、松本高校ばかりでなく、全国的に旧制高等学校の資料をも収集し、未来への架橋となるよう平成5年7月、「旧制高等学校記念館」が新たに開館しました。