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松本市立博物館の歴史

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

松本市立博物館のあゆみ

はじまり

明治39年(1906)9月21日「明治三十七、八年戦役紀念館」として松本尋常高等小学校内に開館。

博物館へ

昭和23年(1948)山岳・民俗・考古・歴史・教育の5部門をもつ総合博物館として「松本市立博物館」が開館。小動物園もありました。

日本民俗資料館

昭和30年代の終わりごろ、文化団体からの博物館新築要望が高まったことを受けて、昭和43年(1968)4月に日本民俗資料館(日本に名だたる民俗コレクションを有する資料館)として新たに開館。
以来、平成17年(2005)3月までの38年間、日本民俗資料館と松本市立博物館、ふたつの名前をもつ施設として歩んできました。

松本まるごと博物館構想の中核施設

開館から100年近い歩みをへて、旧開智学校、旧司祭館、考古博物館、窪田空穂記念館、馬場家住宅、松本民芸館、はかり資料館を分館に加え、市内博物館施設の中核としての役割を担ってきました。
平成14年(2002)には新たに松本市歴史の里、時計博物館が分館となりました。
また、当館では民俗と歴史2部門を主たるテーマとして展示を刷新し、「松本まるごと博物館」の中核施設としてよりふさわしい内容としました。
平成16年には、念願の松本まるごと博物館友の会が結成されました。
平成17年4月、日本民俗資料館の呼称に終止符が打たれ、歴史と伝統ある松本市立博物館の名で再出発しました。
同時に、合併による市域の拡大にともない、四賀化石館、安曇資料館が新たにまるごと博物館の仲間入りしています。
平成21年に松本市の重要文化財である高橋家住宅がまるごと博物館の分館となりました。
平成23年2月には、はかり資料館内に旧三松屋蔵座敷を移築し、はかり資料館の附属施設としてオープンしました。
平成24年4月には、まる博構想の更なる推進のため博物館条例を改正し、新たな歩みを踏み出しました。
令和3年4月から、移転新築のため休館に入りました。このページのトップに戻る


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