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1 殿村遺跡とは

更新日:2021年12月20日更新 印刷ページ表示

殿村遺跡は、平成20年から21年に実施した第1次発掘調査の結果から、室町時代(15世紀から16世紀)に大規模な造成が行われた遺跡であることが判明しました。
ここでは、調査で判明した遺跡の特徴を解説します。

遺跡の立地

殿村遺跡と旧善光寺街道会田宿
殿村遺跡と旧善光寺街道会田宿(本町)

殿村遺跡は、虚空蔵山西麓から流下する岩井堂沢と、会田盆地北部を西に向かう会田川との合流点付近、両河川の浸食活動によって形成された、会田盆地を見下ろす高台にあります。
遺跡の南から岩井堂沢を隔てた西にかけて、近世に整備された善光寺街道が鍵の手に通過し、会田宿が置かれています。

見つかった遺構の特徴

  • 斜面を削り、厚い盛土や石垣による大規模な造成が行われました。その結果、東西75メートル以上・南北50メートル以上に及ぶ広大な平坦地が造られました。
  • 造成は15世紀に開始され、4回以上の拡張を繰り返しながら16世紀まで継続されました。
  • 石垣は平坦地の前面に高さ最大1.2メートル、延長30メートル以上にわたって築造されました。
  • その築造方法は、自然石を垂直に数段積み上げるもので、近世城郭の石垣に見られるような裏込め石はありません。技術的に古い特徴を有する「石積み」と呼ぶべきもので、築造年代も15世紀までさかのぼります(注釈1)。

注釈1:城郭の石垣について、専門的には裏込め石の有無など技術の違いによって、「石積み」と「石垣」に区別されています。このページでは、両者を区別せず石垣の名前で統一しています。

広大な平坦地は柵や塀、溝などによっていくつかの空間に区画されていました。

区画された空間の中からは、礎石建物や掘立柱建物、炉や水溜め施設などの跡が多数見つかりました。

出土遺物の特徴

  • 松本市内の中世の遺跡としては珍しく、非常に多くの遺物が出土しました。
  • 遺物の主体をなす焼物は、地元産の土器(皿・鍋など)に加え、瀬戸産や中国産の高級な陶磁器(皿・碗・壺・擂鉢など)が多数見つかりました。

皿と鍋 中国産の陶磁器
皿と鍋(土師質土器)              中国産の陶磁器(上・中:青磁碗 下:天目茶碗)

特筆すべき遺物として、中世の高級な茶道具があります(瀬戸産や中国産の天目茶碗・茶壷、高級石材の茶臼、風炉など)。

茶道具
茶道具(左上:天目茶碗 左下:風炉 右:茶臼)

松本市内では珍しい中世の木製品が多数見つかりました(漆器椀、下駄、曲物など)。その中には祭祀用具と考えられるもの(形代、斎串状木製品など)や、建築端材も顕著に見られます。

木製品
木製品(左上:漆器椀 右上:下駄)

その他の出土品として、鉄釘などの金属製品、銅銭、硯や石臼、砥石などの石製品などがあります。そのうち金属製品については、再利用されたためか、ほとんど出土していません。また、鍛治に関わる道具類(ふいごの羽口やるつぼ)が見つかっています。

遺跡の性格

遺構や遺物の特徴から、殿村遺跡は一般的な集落ではなく、有力者の主導によって造成され、特定の階層の人びとが活動した場所であったことは間違いないでしょう。遺跡の周囲には、長安寺や補陀寺(ふだじ)など、中世以前にさかのぼる寺院があり、また一方では地名に示されるように、殿村には会田盆地の統治者である会田氏が居館を構えていたとも伝えられています。
全国各地の類似遺跡を参考にすると、現状ではこれまでに見つかった遺構や遺物は、寺院など宗教的な施設の可能性が高く、15世紀に築造された石垣についても、当時の宗教勢力が保有していた技術に基づくものではなかったかとの指摘もあります。
しかし、遺跡の具体像に迫る具体的な根拠はまだ十分には得られていません。従って、今後の調査では、第1次調査では明らかにできなかった平坦地周囲の確認調査を進め、遺跡の性格を明らかにしていくことが求められます。このページのトップに戻る


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