1980年から1984年の写真

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更新日:2021年7月6日

このページでは、1980年から1984年の松本市の写真を掲載しています。
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目次

昭和55年(1980)

あがたの森サタデーコンサートの写真

あがたの森サタデーコンサート

市民の皆さんが気軽に楽しめるコンサートを市民の手で開こう、「サタ・コン」の愛称がすっかりお馴染みとなった、「あがたの森サタデーコンサート」の第一回目の写真です。1月26日の土曜日、午後6時30分の開演でした。テーマは春。才能教育音楽学校弦楽団、フォークグープ、フルート、尺八、琴の演奏家のみなさんが出演しました。写真は「春の海」の演奏風景でしょうか。
(1月26日)

あがた公園発掘調査の写真

あがた公園発掘調査

あがたの森の国から市への払い下げに伴って行なわれた公園の発掘調査。旧制松本高等学校が開校する以前には、ここに縣の宮がありました。旧制高校の誘致は、お宮を移して(源池小学校横へ)まで行なった、まさに、市をあげての大事業でした。
(3月12日)

入山辺三城分校入学式の写真

入山辺三城分校入学式

昭和55年4月の三城の美ヶ原分校の入学式の日のスナップ写真。新入生の赤沢英治くん(手前右)、柳沢美帆ちゃん(同中)に加え、柳沢一守くん(同左)も転入してきました。その後、美ヶ原分校は生徒が減って、休校状態が続きましたが、平成14年4月、この写真の柳沢一守さんの娘、志穂さんが入学、学校も再開されました。
(4月3日)

よもぎこば林道の写真

よもぎこば林道

整備中のよもぎこば林道。扉峠と三城を結ぶ5.8キロのこの道路は幅員が3~4mの未舗装の道でした。昭和54年度から取組んだのが道幅を5mに拡幅して舗装する事業で、これにより松本からビーナスラインを経て、美ヶ原台上へと続く観光道路としても期待されました。時を経て、平成14年には、よもぎこば林道とビーナスラインが無料化され、15年に愛称もアザレアラインときまりました。 (4月10日)

ふるさとの森開園式の写真

ふるさとの森開園式

森林を育てるお金を負担していただき、35年後、大きく育った森からあがる収益をわけあう---松本市が昭和54年からはじめた「ふるさとの森事業」です。全国から95人のかたがこの事業に参加、ふるさとの森の市民になりました。翌年6月15日に開催されたのがこのふるさとの森まつりでした。 (6月10日)

においGメン鼻のテストの写真

においGメン鼻のテスト

この頃クローズアップされたのが匂いによる公害。機械でも臭気の判定は可能となっていましたが、人間の感覚とは微妙に違うようです。そして、同じ人間同士でも人によって、敏感な人、鈍感な人とさまざま。そこで、標準的な嗅覚を持つ人を選び出すテストをして、ニオイGメンを選んだのです。 (6月21日)

出川大橋の写真

出川大橋

今では、すっかり見かけなくなりましたが、昔の橋といったら木の橋が主流。これは出川大橋。木橋の永久橋化がきまったことから、この頃の広報担当者は、木橋の風情を後に伝えようと、木橋を積極的にカメラに収めています。
(7月4日)

千手のいちょうの写真

千手のいちょう

入山辺の千手(せんぞ)のいちょうは、県内有数の古木。老樹のこぶが乳に似ていることから、お参りをすると乳の出がよくなるといわれ、乳の出がよくなったお母さんたちがお礼に白布で作ったお手玉のお札をあげる風習がありました。
(7月19日)

才能教育夏季セミナーの写真

才能教育夏季セミナー

松本の夏の風物詩の一つといえば、才能教育の夏季学校。昭和55年で31回目を迎え、7月26日から8月2日までの日程で開かれました。全国から2500人、海外からも60人が参加し、国際親善も深まりました。(8月1日)

松風園の写真

松風園

完成間近の入山辺の養護老人ホーム「松風園」。元町にあった松風園が老朽化し、元町の都市化が進んだこともあって、閑静な入山辺小学校の跡地に建設されたものです。 (8月5日)

市民祭歩行者天国の写真

市民祭歩行者天国

昭和55年の市民祭の歩行者天国。千歳橋から見た本町方面です。どうやら大名町ロータリーのステージで催しが行なわれているようですが、それにしても凄い人出ですね。(11月3日)

渚に新築中の松本警察署の写真

渚に新築中の松本警察署

松本警察署は、かつて、今の美術館の場所にありました。都市化と車社会の到来で、公共施設の移転がこの時代の課題でした。警察署、職業安定所、地方事務所、松風園などが次々と移転して行きました。
(11月18日)

昭和56年(1981)

国際身障者年松本市推進本部看板掲示の写真

国際身障者年松本市推進本部看板掲示

1981年は国際障害者年でした。障害のあるみなさんの社会生活への「完全参加と平等」が全世界のテーマでした。松本市でも、(1)障害者年のPR,(2)施設・制度・運用の面での障害者福祉の推進、(3)障害者の自立に向けた環境づくりに取り組みました。 (1月5日)

三九郎の松飾り集め(新村で)の写真

三九郎の松飾り集め(新村で)

三九郎の松あつめ。外松を7日、内松を14日にあつめ、15日に焼き、翌日、燃えた松の枝を各戸に配る。そんな小正月の行事も、ワラの不足や、成人の日が15日から第2月曜日に変わったことも手伝い、かつてとは異なる様相を呈するようになりました。 (1月6日)

トルコ風呂絶対反対期成同盟会結成の写真

トルコ風呂絶対反対期成同盟会結成

この頃、松本にトルコ風呂の建設問題が浮上しました。トルコという名称は後にトルコ国民を侮辱する言葉として別の名に変わりましたが、それ以前に「性」を売り物にする感覚は、とても、教育と文化を重んじてきた松本と相容れないものでした。立ち上がった市民の運動で、松本に「性を売る施設」がオープンすることはありませんでした。
(1月6日)

和田西善寺の七草まいりの写真

和田西善寺の七草まいり

せり、なずな ごぎょう、はこべら ほとけのざ すずな、すずしろ 春の七草 短歌のようにすると覚えやすい七草。正月七日に七草を食べる習慣は、平安の昔からあったようです。正月の胃を癒す意味と何より、初春の野に顔出した若菜を食べる慣わしは、「すくすく育て、明るい未来へ」の思いもあったのではないでしょうか。(写真は和田の西善寺) (1月7日)

市政記者クラブとの記者会見の写真

市政記者クラブとの記者会見

情報公開は、今も昔も重要な市民と市政を結ぶ、大切なツール。市政の客観的な報道に資するための、市長記者会見。この当時は、記者クラブで行なわれていました。(2月18日)

入山辺厩所を通るバスの写真

入山辺厩所を通るバス

入山辺厩所(まやどこ)。橋の向こう、道路の左に見えるのは、お祭りの山車(だし)をおさめた船蔵。春が町場より10日は遅いといわれる入山辺に上ってくるバスは、下から春を運んできているように見えます。
(2月18日)

下水道渚ポンプ場 の写真

下水道渚ポンプ場

「広げよう 下水道の 大きな輪」前年の9月10日の下水道促進デーにちなんで募集した標語の入選作品がこれ。寿台の長田和子さんの作品です。この時代、市民の関心は、なんといっても「下水道のある文化的な暮し」。この当時、松本で下水道を利用できる戸数は、56年5月で、まだ、1万8千戸でした。 (2月19日)

松本空港初便就航式の写真

松本空港初便就航式

昭和56年3月1日の松本空港での最後の第一便の就航式。利用率も順調に伸び、「このまま推移すれば通年運行に」という東亜国内航空の方針もあり、恒例行事を今年で最後にしようと関係者の意気込みが例年に増して強いものがありました。そうして翌年、通年運行が実現し、松本空港は、「季節便の空港」から脱却しました。 (3月1日)

日中友好・中国登山学習考察組来庁の写真

日中友好・中国登山学習考察組来庁

日本山岳協会の招きで日本を訪れた「中国登山学習考察組」の一行9人が、日本の岳都「松本市」を表敬訪問。市内きってのアルプスの展望台、市役所屋上で記念撮影。日本では、スキーや登山技術の研修を重ねました。
(5月8日)

ふれあい広場(あがたの森)の写真

ふれあい広場(あがたの森)

7月18日・19日の両日、あがたの森を会場に開催された「国際障害者年記念・ふれあい広場」。約60団体、500人の皆さんが手づくりで祭りを演出。交流を通じて、障害について、国際障害者年の意義について考えました
(7月19日)

大門沢決壊の写真

大門沢決壊

松本はかつて深瀬と呼ばれたように川の多いまち。中小河川の整備で浸水災害は少なくなりましたが、この年の7月18日には、測候所始まって以来という集中豪雨が降り、大門沢が決壊し、流域に被害がでました。
(7月20日)

ソルトレークシティ親善訪問団(記念植樹)の写真

ソルトレークシティ親善訪問団(記念植樹)

9月15日、ソルトレーク市から市民親善訪問団一行46人が松本を公式訪問、18日まで一般家庭に滞在しました。当時は、ホストファミリーを探すのに苦労した時代でした。写真は左から松本城で記念植樹する、濱鉄夫商工会議所会頭、団長のフレッド・ボールさん、和合市長、大槻市議会議長。
(9月16日)

第21回海・山交歓会の写真

第21回海・山交歓会

10月27日から2泊3日で、藤沢市の皆さん41人が海山交歓会で松本を訪れました。イキの長い交流でこの時で21回目。「信州はいまが紅葉の盛り。信州の秋を楽しみ、これからも海・山の交流を」と小林清完助役。(10月27日)

広沢寺・兎田の写真

広沢寺・兎田

里山辺林の広沢(こうたく)寺の麓に広がる田を「兎田(うさぎだ)」と呼びます。小笠原氏と徳川家のかかわりを説くために古くから伝えられた話で、この田で小笠原清宗の三男、林藤助光政が兎を狩り、徳川有親親子にご馳走したという話です。
(10月31日)

司法博物館の写真

司法博物館

復元工事の進む、旧松本地区裁判所の建物。工事は順調に進んでいましたが、原嘉藤さんはじめ、市民有志の力で移築となったこの事業、資金不足とあって、工事と平行して、募金集めも行なわれていました。
(11月16日)

昭和57年(1982)

葬祭センター事務所の写真

葬祭センター事務所

改築中の松本市葬祭センター管理棟(ただし、現在のものとは違います)。お彼岸の3月21日から管理棟と待合室が新しくなりました。この頃の葬祭センターは、市の職員による直営で、休みも六曜にしたがい、「友引」の日でした。(2月26日)

信州大学病院の写真

信州大学病院

信州大学医学部附属病院。市営松本病院を前身に持ち、医師養成機関として、総合病院として地域医療の中核も担っています。この頃、外来患者も多く、年間延べ24万4千人。入院患者は22万人というデータが残っています。(3月16日)

松南高校前クランクの写真

松南高校前クランク

かつて「やまびこ道路(国体道路)」は松南高校のところでクランクになっていました。昭和57年度事業でこのクランクも解消され交通がスムーズに流れるようになりましたが、解消にかかった費用は3億円でした。(4月2日)

旧開智学校学校日誌の写真

旧開智学校学校日誌

旧開智学校には、貴重な教育資料が保管されています。写真は学校日誌。ちょうど明治40年5月1日、松本に市制が布かれた日の日誌です。左側の頁の一行目に市制施行の文字が見えます。(4月12日)

奈良井川堤防道路開通の写真

奈良井川堤防道路開通

国道19号の渋滞緩和対策として造られた「奈良井川堤防道路」。橋を渡る道路と交差する地点では、橋の下をくぐるアンダーパス方式を採用し、スムーズな車の流れが実現しました。 (4月14日)

弘法山古墳の写真

弘法山古墳

49年に古墳として確認され、51年2月に国の史跡として指定された、三世紀後半に造られた東日本最古の古墳のひとつです。弘法山の先端突起部に位置する前方後方墳で、史跡整備を終え、公開されました。内部は竪穴式石室を持ち、出土品は中山考古館で展示されています。
(4月22日)

浮世絵博物館オープンの写真

浮世絵博物館オープン

昭和57年4月25日、島立小柴に開館した「日本浮世絵博物館」。松本で商家を営んだ酒井家が蒐集した約10万点の浮世絵を所蔵します。隣接する司法博物館などとともに、松本の西に一大文化・観光スポットが誕生しました。(4月25日)

あがたの森公園開園の写真

あがたの森公園開園

4月28日、新緑の中、あがたの森公園が完成。開園式が行なわれました。51年から6年計画で整備したもので、広さ3.6ha、多目的広場、ひょうたん池、八ツ橋、東屋を備えた、一大空間が生まれました。
(4月28日)

市制施行75周年の写真

市制施行75周年

昭和57年の市制記念日。この年は、国宝松本城命名400年記念の年でもありました。市役所大会議室のテーブルの上に並ぶのは、ビール。こうしたお祝いの後は軽く一杯が当時のならわしでした。(5月1日)

昭和58年(1983)

松本城金蔵の写真

松本城金蔵

松本城二の丸西北の隅に残る「金蔵」。江戸時代末期の慶應3年の築造。何故か入口が堀に面した側になっていて、古絵図には本丸と金蔵付近を結ぶ「浮橋」らしきものが描かれていますが、その謎は未だに解明されていません。

丸山太郎氏来庁・民芸館寄贈の申し入れ

丸山太郎氏来庁・民芸館寄贈の申し入れ

昭和58年1月14日、松本民芸館の丸山太郎さんが来庁、松本民芸館の建物と丸山さんが生涯かけて蒐集された民芸品の市への寄贈を申し出られました。丸山さんは、バーナード・リーチや柳宗悦らの民芸運動に魅せられ、民芸品の蒐集をされ、そのコレクションは、東京の日本民藝館、倉敷民芸館と並び、日本で三指に入ると言われていました。
(1月14日)

美鈴湖の写真

美鈴湖

昭和58年1月の美鈴湖。当時の冬は寒く、スキーはまだ金持ちのスポーツの時代。ウィンタースポーツといえばスケート。美鈴湖では、400mトラックを2面、ホッケーリンクが5面、フィギュアリンク2面も取れ、週末ともなればご覧の賑わいでした。(1月31日)

第8回ものを大切にする県民運動推進大会の写真

第8回ものを大切にする県民運動推進大会

四柱神社横にあった中央公民館で開かれた「第8回ものを大切にする県民運動推進大会」。二度の石油ショックや狂乱物価を経験しても、なお、大量消費の傾向はかわらず、こうした運動が消費者団体等のリードで地道に続けられる一方、日本は黄金の80年代をまい進していました。 (2月)

渚消防署フォードの消防車(S12)の写真

渚消防署フォードの消防車(S12)

このクラシックカーは、昭和12年から41年まで活躍したフォード社製の消防自動車。当時、本郷村浅間温泉組が3500円で購入したものです。
(2月3日)

筑摩・並柳小学校分離式の写真

筑摩・並柳小学校分離式

この年の3月17日、筑摩小学校では、4月から人口の増加で並柳に新しい小学校が誕生し、14学級約480人が並柳小学校に移ることからお別れの会が開催されました。(3月17日)

松本城入場新記録

松本城入場新記録

昭和57年度の松本城は、命名400年祭りなどもあって、入場者数の新記録を達成しました。これまでの最高は、NHKの朝の連続テレビドラマ「水色の時」が放送された昭和50年でした。新記録となる83万2440人目の入場者は、西沢典子さん。赤羽収入役から記念の品が贈られました。
(3月30日)

松本民芸館寄贈式の写真

松本民芸館寄贈式

丸山太郎さんから寄贈された、松本民芸館が4月1日、市の常設館として、再スタートを切りました。丸山さんが40数年かかって蒐集した民芸品1万数千点を誇ります。民芸館の展示品には、いわゆる説明書きがありません。「生活に密着した道具の美しさをそのまま感じとって欲しい」丸山さんの言葉です。
(4月1日)

釜井庵

釜井庵

この写真は、松本ではなく、塩尻市洗馬元町にある「釜井庵」です。江戸時代の歌人・紀行家、菅江真澄が一年余り滞在した庵です。真澄は、ここから松本平や諏訪へ出かけ、商人、文人らと交流。それらをまとめた「真澄遊覧記」は、細密な絵も素晴らしく、当時の松本を知る貴重な資料となっています。(4月12日)

中山埴原神社・馬出し祭りの写真

中山埴原神社・馬出し祭り

中山、埴原(はいばら)神社の馬出し祭り。中山に朝廷直轄の埴原の牧があり、「埴原の駒」を出していました。かつて、どの家にも馬がいて、数軒に一頭の割合で、馬を出していましたが、この年すでに、祭りに出れる馬は、一頭になっていました。
(4月29日)

散乱空き缶追放キャンペーンの写真

散乱空き缶追放キャンペーン

5・30、ゴミゼロのゴロにちなんで、この年から「ゴミゼロ運動」がスタートしました。30日が月曜日なことから、29日の日曜日に行なわれました。市内では、三才山の国道254号で空き缶収集、駅前など3か所で美化袋や啓発チラシを配りました。 (5月29日)

高橋節郎展オープニングの写真

高橋節郎展オープニング

7月1日から博物館で開催された「高橋節郎特別展」。高橋節郎は、穂高町出身で、漆芸という分野の第一人者で、後に文化勲章を受章することになります。この展覧会では、漆絵、素描80点が展示されました。(7月1日)

総合社会福祉センターの写真

総合社会福祉センター

完成間近の南松本の総合社会福祉センター。あたたかみのある曲線と吹き抜けを持つこの建物は、教育文化センターとともに、初めて設計コンペが取り入れられました。
(7月27日)

三城いこいの広場オープンの写真

三城いこいの広場オープン

市民の憩いの場として、三城にオープンした「いこいの広場」。センターハウス、トリム・アスレチック、オートキャンプ場を備え、当初は、人工芝による夏スキー場もありました。
(7月29日)

千歳橋の写真

千歳橋

夏の千歳橋。千歳橋は江戸時代は、大手橋と呼ばれる木橋でした。明治9年に大名町ロータリーの位置にあった大手門の石垣を使い、東京の萬歳橋を模した石橋となり、名を千歳橋と改められました。この写真当時の千歳橋は、昭和38年の台風災害後の女鳥羽川の改修にあわせて、架け替えられたものです。(7月29日)

第6回才能教育世界大会の写真

第6回才能教育世界大会

7月17日から発祥の地、松本で初めて開催された「才能教育の国際大会(国際大会としては6回目)」開会式には、三笠宮憲仁親王殿下(後の高円宮殿下)がご臨席になり、お言葉を述べられました。
(7月17日)

高橋節郎さん・市へ漆画寄贈の写真

高橋節郎さん・市へ漆画寄贈

7月に博物館で特別展を開催された高橋節郎さんが来庁。展示作品の一つ、「樹下好景」を松本市に寄贈されました。作品は約30号で、高橋作品の代表作の一つとして、パリなど海外での個展の際には、しばしば、松本市から貸し出されています。(8月2日)

お盆駅伝(薄川を走る会)の写真

お盆駅伝(薄川を走る会)

9回目を迎えた「すすき川お盆駅伝」。スタートを待っている風景でしょうか。正月には元旦マラソンがあり、走ることが好きな人は、暑さも寒さも、関係ないんですね。(8月15日)

井筒信一さんの写真

井筒信一さん

筑摩の井筒信一さん。バイオリン製作者として知られています。この頃、井筒さんが手がけたのが、イタリヤのクレモナで作られたガリネリュウスという名器の修理。ストラディバリと並ぶ名器だそうで、時価数千万円とか。井筒さんは、「もみじのような木目を生かした裏板に名器を感じた」そうです。 (9月10日)

台風10号の写真

台風10号

9月28日、松本平を襲った台風10号。床上浸水62戸、床下浸水512戸をはじめ、14億円にのぼる被害を及ぼしました。笹賀の神戸橋もご覧のとおり、橋脚がえぐられる被害を受けました。
(9月28日)

上條信山展オープニングの写真

上條信山展オープニング

10月8日から、博物館で松本市出身の書家、上條信山さんの書展が開催されました。信山流と呼ばれる独特の書風を確立した信山さんは、後に文化功労者、松本市名誉市民となり、平成14年開館の美術館には、特別展示室が設けられています。(10月8日)

総合社会福祉センターの写真

総合社会福祉センター

10月18日、松本市総合社会福祉センターの竣工式が開かれました。中には、松本市社会福祉協議会、南部老人福祉センター、しいのみ学園などが入り、松本の福祉の拠点となりました。(10月18日)

失業対策35周年の写真

失業対策35周年

戦争が終り、復員で帰って来た兵士が街にあふれ、昭和24年の失業は、全国で300万人を数えました。政府は、「緊急失業対策法」を成立させ、失業対策に乗り出しました。松本市でも、小河川の護岸工事や道路舗装などに失業対策事業を取り入れました。

上条信山・書の寄贈の写真

上条信山・書の寄贈

特別展を終えた上條信山さんからは、書が松本市に寄贈されました。「将飛」(まさにとばんとす)と読みます。大空に飛び立つ様を見事に描いた、躍動感あふれる書です。(11月)

開智小学校(旧開智学校望楼より)

開智小学校(旧開智学校望楼より)

旧開智学校の八角塔から望む、松本城、消防署の望楼、開智小学校の建物。お城を除いて、今は、その姿を留めていません。(11月)

昭和59年(1984)

鉄道の給水源跡記念碑(松南高校そば)の写真

鉄道の給水源跡記念碑(松南高校そば)

松本に鉄道がやってきたのは明治35年6月の篠ノ井線。貨物や客車を引っ張るのは、もちろん蒸気機関車。水を石炭で沸かして出る蒸気が動力源というわけで、水の供給源を確保することも重要でした。松本では、豊富な地下水を利用しましたが、松南高校の北側にカマボコ型の給水源跡が残っています。この碑は、そんな遠い記憶の証人として、この年の1月15日に建てられました。(1月)

筑摩野・鎌田中分離校の新築工事の写真

筑摩野・鎌田中分離校の新築工事

松本市の南部は、人口の増加が著しい地域。筑摩野、鎌田の両中学校が団塊の世代ジュニアが学齢に達したこともあり、生徒増でマンモス化したことから、新しく中学校ができることなりました。翌年、開校する信明中学です。(1月)

スパイク道路粉塵清掃の写真

スパイク道路粉塵清掃

当時の松本の冬は、スパイクタイヤによる粉じんに悩まされていました。写真は、粉じんを集める大型清掃車。 (2月)

長野県がん検診救急センターの写真

長野県がん検診救急センター

長野県がん検診・救急センターは、長野県により昭和58年(1983)に信州大学附属病院の真向かいに設立されました。救急部は設立以来、救命救急医療の提供を業務として 信州大学医学部附属病院救急部と密接な連携のもとに活動しています。(2月)

市長選挙の写真

市長選挙

3月18日の市長選挙で三選を果たした和合市長。中央道・空港の整備、流通業務団地、和田工業団地の整備などを課題に掲げました。
(3月18日)

市長選の写真

市長選

昭和59年の松本市長選。三期目の当選にわく和合派事務所。左端に小沢貞孝衆議院議員の顔が見えます。 (3月18日)

スパイク粉塵小型道路清掃車試運転(駅前)の写真

スパイク粉塵小型道路清掃車試運転(駅前)

スパイクタイヤによる粉じん公害に対処するためには、大型清掃車だけでは不十分と狭い道路でも機動力を発揮する小型道路清掃車が導入されました。(3月)

赤津栄一さんの写真

赤津栄一さん

流通業務団地で16ミリフィルムをまわす写真家の赤津栄一さん。昭和32年から60年まで松本市の市政ニュースを撮りつづけました。テレビが普及していない時代は、市政ニュースを映画館で上映したこともありました。
(3月)

味噌炊き(今井・古田)

味噌炊き(今井・古田)

手前味噌と言う言葉があるように、かつて味噌はそれぞれの家庭で作るのが普通でした。町会に味噌炊き用の大きな釜があり、順番に味噌炊きをしました。家族総出でつくる味噌。味はやっぱり我が家が一番。(今井の古田さん宅で) (4月12日)

小林助役・赤羽収入役退任の写真

小林助役・赤羽収入役退任

市役所を去る小林清完助役と赤羽誠収入役。小林助役は、32歳で課長、40歳で部長に就任。その記録は今も破られていません。 (5月21日)

本田親蔵さんの写真

本田親蔵さん

古時計の手入れをする本田親蔵(ちかぞう)さん(右)。本田さんの貴重なコレクションは、松本市に寄贈され、平成14年オープンした「松本市時計博物館」に納められています。(左はノセ時計店の能勢活朗さん)
(5月)

弘法山桜の植樹(アルプスライオンズクラブ主催)の写真

弘法山桜の植樹(アルプスライオンズクラブ主催)

桜の名所として知られる弘法山。その井戸を掘ったのが松本アルプスライオンズクラブのみなさんです。先人樹を植え、後人涼を楽しむ。すくすく育った桜は、4月、山をピンクに染めます。(5月13日の弘法山植樹祭の写真です。)

図書館・山岳文庫に「日本登山記録大成」仲間入りの写真

図書館・山岳文庫に「日本登山記録大成」仲間入り

図書館の山岳文庫は、日本でも有数の蔵書数を誇っています。昭和59年は、中部山岳国立公園指定50周年ということで、「日本登山記録大成」(全20巻)が文庫に加わりました。この大成には、旧制松本高校や松本医専の山岳部の登山記録も記されています。 (6月)

音楽文化ホール起工式の写真

音楽文化ホール起工式

7月10日に行なわれたクラシック専門ホール(音楽文化ホール)の起工式。場所は、かつて鐘紡の工場があった場所で、県の合同庁舎の移転先の候補にもなったところです。(合庁は、松本城西の元の場所と、島立と島内で激しい誘致合戦がありました。)

水道局まつりの写真

水道局まつり

水道局が島立に新庁舎を建設して移転したのは、昭和56年。身近な水道について知ってもらおうと開催された第1回水道局まつりの一こま。出店、金魚すくいなどに2千人が集まりました。(8月11日)

鈴木メソッド夏季学校・鈴木先生と生徒の写真

鈴木メソッド夏季学校・鈴木先生と生徒

スズキメソードの夏季学校で海外からの参加者にレッスンする鈴木鎮一先生。80代後半とは思えぬ元気さで、「私の定年は、120歳」とエネルギッシュな指導に誰もが尊敬と敬愛の念をいだいていました。(8月)

合成洗剤から石けん洗剤に切り替えた給食センターの写真

合成洗剤から石けん洗剤に切り替えた給食センター

この頃、合成洗剤が健康にさまざまな影響を与えることがクローズアップされ、松本市の学校給食センターでは、この年の4月から新機種の食器洗浄機を導入して、石けんによる洗浄に切り替えました。従来よりも手間はかかりますが、将来を担う子どもの健康には代えられません。(8月)

ソルトレークシティ中学生の写真

ソルトレークシティ中学生

松本から姉妹都市ソルトレークシティへ学生が国際生活スクールで毎年訪問していますが、海外旅行の費用は自分持ちという考えのアメリカからは、学生が松本へ来ることは稀です。写真は、そんな中で松本を訪問したソルトレークシティのクレイトン・インターミディエイトスクール(中学生)の皆さん。 (8月)

小錦関来庁の写真

小錦関来庁

この年の秋場所で大活躍した入幕間もない小錦関が兄弟子の富士桜関と和合市長を表敬訪問。この当時でも小錦関の体重は、215kg。椅子に座るのがやっという巨体でした。(9月26日)

第1回家庭用電気製品健康診断

第1回家庭用電気製品健康診断

10月14日に市役所で開かれた第1回電気製品の健康診断の模様。大量消費に警告を発し、物を大切にしようと街の電気屋さんが立ち上がったもので、家庭で眠っていたり、壊れたまま放置されていたりする電化製品の健康診断と修理をしました。(10月14日)

第1回工業展(美須々の総合体育館で)の写真

第1回工業展(美須々の総合体育館で)

10月26日、美須々の総合体育館で開催された第1回松本の工業展・情報機器展。パソコンブームも手伝って訪れた市民は何と2万人でした。 (10月26日)

お菜洗い(島内新橋)の写真

お菜洗い(島内新橋)

島内新橋でのお菜洗いの風景。小春日和の日溜りの中アルプスの湧き水で丹念に洗います。お菜を洗い、漬け、大根を漬けると松本には寒い冬がおとずれます。「流れ行く大根の葉の速さかな」(11月)

お問い合わせ

総合戦略局 秘書広報室

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