小笠原氏城跡

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更新日:2018年9月28日

(読み方)おがさわらし じょうあと

小笠原氏城跡(山辺城跡)
小笠原氏城跡(山辺城跡)

  • 指定等区分 県史跡
  • 指定年月日 昭和45年(1970)10月22日
  • 種別 遺跡
  • 所在地 松本市入山辺字日影7350ほか
  • 所有者 松本市ほか
  • 時代区分 戦国時代~安土・桃山時代

信濃国守護小笠原氏の権力を誇る山城群

県史跡小笠原氏城跡は次の4つの山城で構成されています。
※林小城は林大城と合わせて林城(はやしじょう)ともいいます。
※林大城については「国史跡 小笠原氏城跡」をご覧ください。

  • 林小城(はやしこじょう)
  • 埴原城(はいばらじょう)
  • 山家城(やまべじょう)
  • 桐原城(きりはらじょう)

林小城

林小城は里山辺地区林集落の東、大嵩崎(おおつき)集落をはさんで、北に位置する林大城と対をなしており、2城で「林城」と呼ばれている信濃国守護小笠原氏の本城です。

林城の築城年代については、小笠原長朝が嘉吉3年(1443)に林城で生まれていることが「小笠原系図」に書かれており、長朝の父である小笠原清宗の時代に築城され、井川館から移ったものと考えられます。明応元年(1492)に林城で生まれた小笠原長棟(長朝の孫)は、菩提寺である廣澤寺(こうたくじ)の中興開基になっており、この時代に林城は小笠原氏の本城として、信濃国守護にふさわしい風格を備えた山城となったのです。

 しかし天文19年(1550)7月15日、城主小笠原長時(長棟の子)は甲斐の武田晴信(信玄)に攻められて自落(戦わずして降参)し、山城や館は破壊されました。

 小城は古城とも書くので、大城より築城は古いと考えられていましたが、最近の縄張の研究などから、大城より新しい時代に造られたと考えられるようになりました。主郭をとりまく石垣や縄張などは、山家城や桐原城と共通性が高いものです。

埴原城

埴原城は中山地区にある大規模な山城で、複雑な遺構をとどめています。この山城には尾根筋がいく筋もありますが、いずれの尾根にも空堀を切って、掘った土を盛り上げて土塁として守りを固めています。主郭部は三区画に分けられます。虎口(こぐち)は敵が簡単に入れないように曲げられており、両側の石垣から門があったと思われます。主郭の背後には大規模な土塁があり、その山側は深い空堀となりさらに上に続いています。

山家城

山家城は入山辺地区上手町(わでまち)の背後の山腹にあります。遺構は複雑で何回かの改修をうかがわせます。主郭は東西約20m、南北22mで、周囲の石垣はかなり高くみごとであり、戦国最末期の松本平の石積み技術の到達点を示しています。永正2年(1505)に、折野薩摩守昌治(後の山家氏)が播州明石からこの地に来て、小笠原貞朝(長朝の子)に属し、山家城を拠点としていました。

桐原城

桐原城は入山辺地区西桐原の北側の山の中腹にあります。この山城については慶長4年(1599)に描かれた絵図があり、絵図内の麓にある「御屋鋪」の記載は、城主桐原氏の居館跡と思われます。主郭の規模は、東西約29m、南北約27mです。

 桐原城は、天文19年(1550)7月15日、林大城とともに自落しました。

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