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1990年から1994年の写真

ページ番号:617-869-680

更新日:2021年7月9日

このページでは、1990年から1994年の松本市の写真を掲載しています。
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目次

平成2年(1990)

日本電気株式会社・工場立地に関する協定調印式

臨空工業団地へのNEC松本工場立地に関する調印式に臨む、NEC関本社長と和合市長。臨空には約50社が進出し、県内最大級の工業団地となりました。NECの誘致には他都市との争奪戦もありましたが、当時の小林名誉会長が旧制松本高校の出身ということもあり、松本に最終的に決まりました。(2月14日)

駐日ネパール大使・ナラヤン・アルジャル氏

ネパール王国駐日大使のナラヤン・アルジャル氏が松本市を公式訪問。松本とカトマンズが姉妹都市になったことと、この年、大阪で開催される「国際花と緑の博覧会」のネパール館への協力要請を兼ねての来松でした。(2月6日)

白鳥写真館(都市景観賞)

美しい景観のまちを育てようということで、前年の9月に市がはじめて募集した「松本市都市景観賞」。31件の応募があり、7件が初の受賞に輝きました。写真は、上土の白鳥写真館。大正ロマンのまちにふさわしい建物ですね。 (2月)

山村医院(都市景観賞)

同じく都市景観賞に輝いた山村医院(今井)。この他に長野県信用組合東邦生命ビル(深志)、昭和ビルポケットパーク(深志)、里山辺薄町の櫟(いちい)の生垣、松本市音楽文化ホール(島内)、スポーツ橋(水汲)が受賞しました。

本多ドゥルガーさん・陳淑汝さん(職員研修・国際化社会講座で)

松本は、外国籍の方が多く住む町。国際理解の促進にと市職員を対象に開かれた研修会。講師は陳淑汝さん(中国・写真左)と本多ドゥルガーさん(ネパール) (2月15日)

春のお引越し総合手続コーナー

3月、4月は異動の季節。引越しにかかわる手続きが一箇所で出来たら。そんな市民要望に応えて、市役所に開設された「春のお引越し総合手続コーナー」。転入転出はもちろん、電気、電話、郵便、都市ガス、水道、NHK の手続が可能になりました。期間は3月19日~4月13日まで行なわれました。(3月)

波田町・安曇村・梓川村・山形村とゴミ焼却業務委託契約

波田、安曇、奈川、梓川、山形など収集したゴミの十分な焼却施設がなく、処理に悩む町村のゴミを松本市が受け入れる「ゴミ処理業務委託契約」の調印式。(4月23日)この頃から、周辺町村は、単独では、ゴミ問題を解決できなくなっていました。こうした受け入れが後に西部施設組合によるゴミの共同処理へと発展して行きました。(4月23日)

松原ショッピングモール

住宅団地づくりが進む松原地区で、地区の商店街となる松原ショッピングモールが完成。6月5日、竣工式が行なわれました。おとぎの国を思わせる設計が評判を呼びました。(5月)

松本市カトマンズ市姉妹提携委員会

前年の姉妹都市提携を受けて、松本市・カトンマンズ市姉妹提携委員会が設立されました。会長に市長、顧問に議長を選出、幅広く会員を市民に呼びかけることになりました。(5月28日)

留学生ふれあいパーティー

6月10日、新緑の三城で開催された「留学生ふれあいパーティー」。16か国、90人の留学生が参加。歌あり、松本ぼんぼんありで、交流の芽もまた、すくすく育っています。 (6月10日)

ドンゴルさん(カトマンズ市役所)

カトマンズからの研修生、デベンドラ・ドンゴルさん。当時、カトマンズ市の土木課長で都市計画が専門。土木畑を中心に市の行政全般を約半年、視察しました。(9月)

公設地方卸売市場の市場まつり

松本市公設地方卸売市場開場一周年を記念して開催された第一回市場まつり。地元農産物や生鮮食料品が市場価格で買えるとあってご覧のとおり大人気。以後、秋の市民の楽しみのお祭りとして定着していきました。(10月21日)

建設中の総合体育館・県文・市野球場

平成2年はバブル経済の最盛期。税収の伸びも高く、懸案だった大型施設が次々と建設されました。浅間から水汲にかけての地域には、市野球場(手前)左奥には市総合体育館、右奥には県松本文化会館が槌音高く建設の真っ盛りです。(10月)

建設中の市立図書館

こちらは、建築中の市立図書館。平成元年11月に起工し、完成は平成3年4月。資料の移し替え等を行い、松本市中央図書館としてのオープンは同年10月1日でした。(10月11日)

国際バレーボール連盟副会長チェスノコフさん来松

92年のワールドカップ男子松本大会の開催が決まり、開催地の視察に訪れた国際バレーボール協会副会長のユリー・チェスノコフさん。ソビエト時代の1964年、エースアタッカーとして金メダルに輝いたプレーヤーです。ワールドカップ初の地方開催とあって、建設中の総合体育館と選手村となるプエナビスタ(同じく建設中)を視察しました。 (11月)

W杯スピードスケート松本大会

12月6日~9日、浅間温泉国際スケートセンターでワールドカップ・スケート大会が開催されました。Mウェーブはまだ建設されておらず、当時は、浅間が国際レベルの大会の舞台でした。写真手前は、橋本聖子選手。(12月8日)

平成3年(1991)

増築中の今井農村環境改善センター

写真右が今井農村環境改善センター。左は今井体育館。その中間に増築された改善センターの工事中の写真。今井地区の世帯数、人口の増加(当時、5年間で200世帯、500人)にあわせたものでした。(1月)

サンピア松本の屋外スケートリンク

北の浅間温泉国際スケートセンターに対して南のスケートの中心地は、サンピアのスケートリンク。夏場のテニスコートを冬場は、スケートリンクとして使用。スキーは、まだまだ贅沢なスポーツの時代。スケートリンクは、子供達の歓声でいっぱいでした。(1月)

建設中の安房トンネル(安全祈願祭)

平成10年の完成を目指して、まず、岐阜県側から着工された安房トンネルの工事。この年の2月5日には、長野側からの掘削工事にも着手しました。建設費が600億円見込まれていました。 (2月5日)

日の出町の公衆トイレ

松本市が管理している公衆トイレ。この時代で、98か所もありました。公衆トイレ=不潔、汚いのイメージから脱却するため、ちょっとお洒落なトイレを作ることになりました。写真は日の出町のトイレ。蔵の街・中町につながることから、蔵をイメージした建物です。(2月)

浅間の公衆トイレ

こちらは浅間温泉の公衆トイレ。仙気の湯に併設して作られました。湯の街・浅間に相応しい建物です。ちょっとお洒落なトイレを作ることで、使う側のモラルも高めようというネライでした。 (2月)

はかり資料館

明治35年(1902)、田中家が創業した「竹内度量衡店」は、80年にわたり地域に親しまれ、昭和61年(1986)に閉店しました。その後、田中家のご厚意により、度量衡関係資料600点が市へ寄贈され、土地・建物も貸与され、平成元年8月4日、はかり資料館として開館しました。 (4月)

選抜高校野球・松商学園準優勝

平成3年、春の選抜。一回戦・イチローを擁した愛工大名電、二回戦・天理、準々決勝・大阪桐蔭、準決勝・国士舘を破り、決勝では、広陵に破れたものの、見事、準優勝。甲子園に松商旋風を巻き起こしました。 (4月)

選抜高校野球・松商学園準優勝

勝利の報告にアルプススタンドにかけよる松商ナイン。この感動、はやくもう一度味わいたいですね。 (4月)

松商学園準優勝の旗

5月にソルトレークシティで開かれたジャパンウィークには、松本から200人を超える市民が参加。写真は、ソ市庁舎前。井上商工会議所会頭、フレッド・ボール商議所専務、和合市長、デポーリス市長、小笠原議員、窪田議員、栗林副会頭の顔が見えます。(5月)

アメリカジャパンウィーク

5月にソルトレークシティで開かれたジャパンウィークには、松本から200人を超える市民が参加。写真は、ソ市庁舎前。井上商工会議所会頭、フレッド・ボール商議所専務、和合市長、デポーリス市長、小笠原議員、窪田議員、栗林副会頭の顔が見えます。(5月)

サマランチ会長来松

5月8日、長野から名古屋へ向かう途中、8月IOC会長杯国際卓球大会が開催される松本へ立ち寄ったIOCサマランチ会長。長野五輪招致委員会・吉田総一郎氏、国際卓球連盟会長・荻村伊智朗氏、和合市長、塚田長野市長、宮澤長野県卓球連盟会長の顔が見えます。 (5月8日)

松本市野球場

完成した松本市野球場。両翼98m・中堅122m、天然芝、収用人員2万5000人。松商学園の春の選抜準優勝を祝うかのような竣工で、柿落としの試合は、松商学園VS深志高校。アマチュアの放った初ホームランは、松商の上田佳範選手でした。 (5月)

取り壊し中の総合体育館

昭和37年4月、当時としてはA級の体育館として誕生した総合体育館。当初は県営体育館で、昭和54年から市営になりました。30年間の使命を終え、5月15日にはお別れのバレーボール、ソフトバレーの試合が行なわれました。 (5月)

土曜深夜の松本駅前

土曜日の夜、松本駅前に暴走族が出現。それを応援するギャラリーと呼ばれる少年少女が集まるという現象がこの当時、見られました。市・警察・町会が一体となって夜間パトロールを実施、迷惑行為の防止に努めました。

新村のねぎ畑

上高地線沿いに広がる新村のねぎ畑。採種用のねぎ坊主(花球)が並ぶと壮観です。薬味に鍋に、やけどに風邪に、人とねぎとのかかわりは2000年以上とも言われています。 (6月)

松本市野球場・巨人対ヤクルト戦

6月25日、松本市野球場の竣工を記念して開催されたプロ野球巨人VSヤクルト戦。ジャイアンツ戦は、実に37年振りでした。試合前のセレモニーで記念の花束を受ける、ヤクルト・野村克也監督(左)とジャイアンツ・藤田元司監督。(6月25日)

松本市野球場・巨人対ヤクルト戦

この試合16対5でヤクルトの大勝。プロ選手のホームラン第1号は、ヤクルトの古田敦也選手でした。巨人戦実現には、販売の神様といわれた三郷村出身の務台光雄さん(読売新聞社名誉会長)の力添えがありました。(6月25日)

安房トンネル貫通式

7月31日、安房の山腹をくりぬく約4.3キロの安房トンネル作業坑が貫通。握手する和合松本市長と平田高山市長。日本道路公団が昭和39年に地質調査に着手してから27年目のことでした。(7月31日)

IOC会長杯第2回国際卓球大会

総合体育館の柿落としに招致したIOC会長杯第2回国際卓球大会開催にあたり、記者会見する荻村伊智朗国際卓球連盟会長。荻村さんは、12の世界タイトルを持つ、卓球の戦後のヒーロー。日本人で初めてIFと呼ばれるスポーツの国際連盟の会長に就任した方です。(8月31日)

IOC会長杯第2回国際卓球大会

8月31日~9月2日、新しい総合体育館で開催されたIOC会長杯第2回国際卓球大会。世界から男女のトッププレーヤー各8人が集い熱戦を繰り広げました。優勝は男子が韓国の金選手、女子は中国のトウ選手。また、2日は、音楽文化ホールでサマランチ会長による「五輪運動について」の特別講演も行なわれました。(9月2日)

松本カトリック教会旧司祭館

明治22年(1889)フランス人のクレマン神父によって建てられたアリーアメリカン・スタイル建物。松本カトリック教会の司祭館として100年近く使われ、平成3年、道路の拡幅により現在地(中央図書館前)に移築復元されました。この館は、後に司祭として滞在したグスタフ・セスランが我が国初本格的な和仏辞典「和仏大辞典」を著したことでも知られています。 (9月)

ワールドカップバレー男子松本大会

総合体育館柿落とし 第2弾として開催されたワールドカップバレーボール男子松本大会。この種の大会が地方で開催されるのは、今では珍しくありませんが、この松本開催が地方開催の先鞭と言われています。キューバ、韓国、ブラジル、ドイツ、イラン、アルジェリアの6チームを迎え、2日間で14200人の観衆が詰めかけました。

サイトウキネンフェスティバル開催決定記者会見

サイトウ・キネン・フェスティバルの松本開催決定の記者会見に望む、小澤征爾総監督と吉村知事、和合市長。建設中の県松本文化会館に急遽オーケストラピットを8億円かけて設置して、受け入れることになりました。

平成4年(1992)

松本空港ジェット化整備工事起工

1月10日、ジェット化に向けた松本空港整備の起工式が行われました。平成6年7月の開港に向けて、総工費180億円の空港整備費で工事がスタートしました。(1月10日)

有賀新市長誕生

3月15日執行の松本市長選挙で第12代松本市長に当選した有賀正氏。最終得票数 有賀正氏 53215票 和合正治氏 53123票。後に92年の92票差と呼ばれる稀に見る激戦でした。県議4期、農業経営者協会会長等を経ての就任でした。 (3月15日)

ネパールの平和の鐘(市役所)

市役所前庭に設置されたネパール「平和の鐘」。ネパールではガンタと呼ばれる平和と友好のシンボルです。90年の国際花と緑の博覧会のネパール館への松本市からの援助の返礼として設置されたものです。(3月)

松本城400年まつり事務局開所式

4月20日、平成5年の国宝松本城400年まつりと信州博覧会に向けて、準備も本格化、博物館横に建てられた2階建の事務局の開所式が行なわれました。 (4月30日)

夢丸くん(松本城400年まつりマスコット)

国宝松本城400まつりのマスコット「夢丸」のぬいぐるみ。松本城の天守閣をイメージし、松本のイニシャル「M」を組み合わせもの。色は、ラベンダー、ピンク、グリーンの3種類でした。(5月)

アルピーちゃん(信州博マスコット)

こちらは信州博のマスコット「アルピー」のぬいぐるみ。アルプスの山の中で音楽を奏でて遊ぶ妖精をイメージしたもので、色はピンクとブルーの2種類でした。(5月)

望楼取り壊し

宮渕新橋上金井線の拡幅に伴う丸の内消防署の移転で取り壊される望楼。地上31m、昭和35年に作られ、以来、松本の街を見守った望楼もその役目を終えました。(5月6日)

信州博1年前イベント

7月17日、国宝松本城400年まつり・信州博覧会まであと350日となったことから、1年前イベントが開催されました。この日から前売り券の販売が始まり、信州博は約500枚、400年まつりは、縁起よく約400枚が売れました。(7月17日)

ランディー・テーラーさん(ソルトレークシティ市職員)

有賀市長を表敬訪問するソ市職員のランディー・テイラーさんと長男のロドリック君。テイラーさんは、一家8人で1986年に松本で5か月過ごしたことがあります。ソ市のAET派遣の窓口も務めており、松本に約3か月滞在しました。(7月)

神林の400年まつりシンボルマーク

神林にお目見えした国宝松本城400年まつりのシンボルマークをかたどった花畑。この他にもアルピーやユメマルの文字をかたどった花文字も作られ、2つのイベントのPRに貢献しました。(8月9日)

サイトウ・キネン・フェスティバル松本

第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本のため来松した総監督の小澤征爾さん。前売券も完売され、日本全国、そして世界が、1年に一度だけつどう、七夕オーケストラの壮大な挑戦に注視しました。(8月)

サイトウ・キネン・フェスティバル松本

サイトウ・キネンの初回のラインアップは、オペラ・エディプス王(写真、2公演)、ジェシー=ノーマン・ソプラノリサイタル(1公演)、オーケストラ・ブラームス交響曲第1番他(2公演)、室内楽・モーツアルト、ディベルトメント他(1公演)の計6公演でした。(8月)

サイトウ・キネン・フェスティバル松本

地方事情の視察を兼ねて天皇皇后両陛下がご来臨。サイトウ・キネン・オーケストラの演奏を楽しまれた後、山辺学校歴史民俗資料館をご視察になられました。 (8月)

第1回市長相談

市民と膝を交えて、市長室は一階にを掲げて当選した有賀市長。11月20日に第1回の市長相談が開かれ、7人の市民の皆さんが相談に訪れました。この頃は、月1回第3金曜日の開催でしたが、後に市長在庁のときは、午前中は何時でも受けるスタイルになりました。(11月20日)

信州博グローバルドーム(建設中)

建設が進む信州博覧会のシンボル、グローバルドーム。旧県営球場の場所に作られました。グローバルドーム建設にあたっては、信州博覧会終了後、県営球場が再建される約束が県当局とかわされました。(11月)

平成5年(1993)

馬場屋敷

平成4年(1992)3月、地元で馬場屋敷とよばる本棟造りの住宅群が第16代当主の馬場太郎氏から松本市へ寄贈されました。母屋は1851年の建築で、大きな長屋門(写真・1859年)が特徴です。この後、発見された家相図に基づく復元工事を行い、平成8年12月に国の重用文化財に指定されました。(1月)

信大留学生仮装パーティー

色とりどり衣装を身にまとった、信州大学留学生による仮装パーティー。民族衣装風の装いも見えます。この当時で、22か国から約120人の留学生が松本キャンパスで学んでいました。(1月)

国立病院統廃合問題懇談会(大会議室)

国の国立病院や療養所の再編計画で、松本では東松本病院と松本城山病院がその対象となりました。厚生省との粘り強い交渉の結果、新病院(中信松本病院)のベッド数は、両病院の合計ベッド数を上回り、かつ、城山病院の跡地には、老健施設が作られることになり、後に「1+1=2+α」になったといわれた、目立たないが、福祉医療の充実に大きな貢献を果たしました。 (1月)

小澤征爾さんとコーラスの子どもたち(県文にて)

2年目のサイトウ・キネンでは、オペラ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」が上演されることになり、コーラスとして出演する子供達と小澤総監督との初顔あわせが行なわれました。歌詞はもちろんフランス語。この子ども達が中心になって、後にSKジュニア合唱団が結成されました。(3月4日)

両島橋

4月6日に渡り初めが行なわれた両島橋。両島と島立を結ぶこの橋は、奈良井川にかかる奈良井橋と月見橋の中間にかかり、内環状線の一部を成す、待望久しい橋でした。全長127m、幅員12m、総事業費は3億7900万円でした。(4月6日)

窪田空穂記念館(和田)

6月5日に竣工した窪田空穂記念館。郷土の生んだ文化功労者で歌人で文学者の窪田空穂を偲び、長くその業績を称えるために、和田の空穂の生家前に建設されました。屋根の形は、空穂の生家の本棟づくりを意識したもので、道路を挟んで好対照を造りだしています。 (6月5日)

松本城400年まつり・夢御殿

7月17日のオープニングを前にほぼ完成した、国宝松本城400年まつりのメインステージとなる夢御殿。能舞台風のステージでした。(7月)

駅前ブロンズ像・洞沢今朝夫さん作・萌春

楽都・松本に相応しい駅前通りにと、松本駅前通り商店街振興組合がすすめていた環境整備の一つであった2体のモニュメントが完成、6月8日、除幕式が行なわれました。写真は洞澤今朝夫さんの「萌春」、もう一体は瀬戸剛さんの「ふえ」です。(7月)

松本城400年まつり開会式(高円宮ご夫妻をお迎えして)

国宝松本城400年まつりの開会式(7月17日)才能教育を通じて松本とゆかりの深い、高円宮同妃両殿下のご臨席のもとに開幕しました。(7月17日)

旧制高等学校記念館

7月10日に竣工した旧制高等学校記念館。全国に38校あった旧制高校の建物で完全に残っているのは、松高だけ。資料の散逸を防ぎ、近代日本の建設に大きな役割を果たした旧制高校の軌跡を後世に伝えるため建設されました。(7月)

市役所東庁舎火災

6月13日、早朝、市役所東庁舎2階環境課から出火。多額な市民の財産が失われました。原因は、市職員の放火。あってはならない事件でした。(6月13日)

松本市名誉市民推戴式

7月16日、本丸庭園で和合正治第十一代市長の名誉市民推戴式が挙行されました。和合市長は、昭和51年から4期16年、松本市長を務められ、全国市長会副会長も歴任。松本市の発展に大きな功績を残されました。松本市長としては、降旗徳弥市長に続き二人目の名誉市民。(7月16日)

秋篠宮ご夫妻・松本到着

こちらは、信州博覧会の開会式にご出席のため、松本駅に到着された秋篠宮同妃両殿下。(7月16日)

ユタ日報鉛活字

ユタ州ソルトレークで77年にわたって発行された「ユタ日報」。松本市名誉市民の寺沢国子さんの逝去(1991)とともに廃刊となりました。その後、ご遺族のご厚意でユタ日報は松本市中央図書館に保存されることになりました。写真は、最終号の版組み。(7月)

のんびり村(中山)

史跡と自然を愛し、心に潤いとゆとりを持ち、自分達の手で地域の活性化を目指すイベント、中山の「のんびり村」も5周年を迎えました。ちょっと刺激的な創作ダンスのパフォーマンスに、この時ばかりは、「どっきり村」だったようです。(8月22日)

島内の灯籠まつり

こちらは島内の灯篭まつり。ザ・ハーモニーホールや敷地内の空間やせせらぎを利用して、子どもからお年よりまで、誰もが、ゆったり楽しめるお祭りとして親しまれています。 (8月21日)

ソルトレークシティ市民親善訪問団

姉妹提携35周年を記念して、松本を訪れたソルトレークシティ市民訪問団。松本城400年まつり、信州博覧会、サイトウ・キネンと充実の訪問日程。団長のフレッド・ボール、ソ市商業会議所専務理事は、「サイトウ・キネンは、人生で2番目の感激だ」と興奮していました。1番目の感激はと聴くと「もちろん、妻と出合った時」だそうです。(9月10日)

千歳橋

松本市の中心である千歳橋。石橋、鉄橋を経て、ゆとりのある歩道と空間、御影石をあしらった橋に生まれ変わりました。親柱には、ガス灯が取り付けられ、風格とロマンをかもし出しています。歩石の模様は大手門枡形や鉄砲狭間をモチーフにしたほどの凝り様です。 (9月)

クイズ王顕彰・水津康夫さん

石坂浩ニさんが司会する番組で、クイズ王日本一に輝いた、水津康夫さんが勤務先の社長さんと市長を表敬訪問。市も番組を通じて松本をPRした功績を称え、水津さんを顕彰しました。ところで、問題です。南米の都市で「1月の川」という意味の都市は?「リオデジャネイロ」(水津さん)こんなこと即座に答えられる人って、そうはいませんよね。(11月12日)

高良幅玉垂野水(こうらはばたまだれのみず・島内花見)

島内花見の高良幅玉垂野水(こうらはばたまだれのみず)ミニ公園。おもわず舌を噛みそうですが、旧大町街道筋の千歳橋から1里あたりのところに1里塚があり、そこの湧き水(玉垂れの水)で人々が身を清めたことからこの名があります。町会のみなさんがミニ公園として整備したものです。ところで花見(けみ)という地名は、湧水(けみ)がなまったもので、この地名のあるところはたいてい水が豊かです。 (12月)

新型特急・あずさ

12月15日、23日から運行される「スーパーあずさ」の試乗会が行なわれました。流線型のこのスーパーあずさの登場により、松本新宿間、2時間30分をきるダイヤも組まれることになります。(12月)

平成6年(1994)

おんべ立て(内田地区)

 五穀豊穣と無病息災を願う内田地区の伝統行事「おんべ立て」。色紙で作った御幣(おんべ)や巾着を飾った竹を太い柱に千鳥に縛り付けて立てるもので、小正月の頃に道祖神に立て、二十日正月にこれを倒して、おんべを各戸にくばり、戸口に飾って魔よけとします。(1月14日)

針塚古墳

里山辺の兎川寺遺跡と薄町遺跡に近接する「針塚古墳」。石を積み上げて築いた古墳で、積石塚古墳と呼ばれ、岡田や水汲でも数基確認されていますが、その中で最もよく残っているのがこの針塚古墳です。5世紀頃の土器も出土しています。(1月)

大門沢ウォーターフィールド

大門沢ウォーターフィールドの愛称がついた多目的遊水地。大雨時の下流域の洪水の被害を防ぐのが目的で、約3万立方メートルの容量です。平常時は、陸上競技練習場(6コースの400メートルトラックとフィールド)として利用可能で、県松本文化会館の建設に伴い、旧県営陸上競技場が廃止されたことに伴うものです。 (4月)

松本空港

7月26日のジェット化開港に向けて、整備の進む松本空港。ターミナルビルも完成、これまでの大阪便に加えて、5月18日には、日本エアシステムから運輸省へ札幌・福岡便の申請も出され、夢が大きく広がった時期でした。(5月)

島内農村公園

島内平瀬の国道19号を東に入った小高い場所に造られた島内農村公園。北アルプスの眺望も楽しめる環境のよい公園です。農村生活に潤いの場を創造する目的でつくられた公園は、この島内で市内8か所めでした。(5月)

松本市役所受付

それまで階段の登り口にあった本庁舎の受付がこの年の5月から玄関ホールに移転されました。玄関部分にあった凹凸をフラットにすることでスペースを確保したもので開放感のある受付になりました。(5月)

松本市中毒事故対策本部(松本サリン事件)

 6月27日午後10時40分頃、松本市北深志の地裁松本支部裁判官宿舎近くの駐車場で有毒ガスのサリンがまかれ、住民7人が死亡、144人が重軽傷を負いました。後に松本サリン事件と呼ばれる事件の翌日に対策本部の看板を掲出する有賀市長。この時はまだ、サリンと知るよしもなく、中毒を引き起こしたガスの正体がサリンと推定されたのは、6日後の7月3日のことでした。 (6月28日)

松本空港ジェット化開港

 7月26日、市民、県民が待ち望んだ松本空港がジェット化開港しました。9時30分、大阪発の134人乗りのMD87型機が松本空港に姿を現しました。開港当初は、大阪へ毎日2便、札幌に週4便、福岡へ週3便でした。(7月26日)

カトマンズへの絵画

10月15日から姉妹提携5周年を記念して、カトマンズ市を紹介する写真展とカトマンズへ贈る小中学生の絵画展が開催されました。この時展示した写真は、その後、市内の小中学校に巡回展示されました。(10月15日)

盲導犬育成基金から貸与された盲導犬

盲導犬を必要とする視覚障害者の方は全国に約7800人といわれています。しかし、実際、盲導犬の数は1000頭(平成16年現在)に満たないのが現状です。盲導犬を育てるのにはお金と時間がかかり、その費用は公の補助や善意の寄附で賄われています。平成16年現在、松本には10頭の盲導犬が活躍しています。 (9月)

千歳橋に巨大カブトムシ

新しく広くなった千歳橋の歩道は、モダンアートを初めとした芸術の展示やミニ・コンサートの会場としても活用されるようになりました。写真は、この秋お目見えした巨大カブトムシ。(9月)

信大留学生ファッションショー

中央図書館で開催された、信州大学留学生によるファッションショー。約2時間のステージに、世界の民族衣装が華麗にあでやかに登場、視覚にうったえる国際交流の場となりました。(10月)

棚峯橋

10月8日、中山住宅団地と松原団地を結ぶ牛伏川にかかる棚峯橋が完成、渡り初め式が行なわれました。長さ43.5m、幅員14m、総事業費6600万円。交通渋滞の緩和や生活利便の向上に貢献しています。(10月8日)

カトマンズ市長・来松歓迎レセプション

10月19日、姉妹都市カトマンスのP.L.シン市長とB.N.マナンダー議員が来松。シン市長は2度目の松本訪問。クリーン・グリーン・ヘルシー、カトマンズ(清潔で緑豊かで健康的な都市)を都市目標に掲げ、市長退任後は、環境大臣に就任されました。(10月19日)

パソコン授業(島内小学校)

平成5年度までに、高度情報化社会に対応する教育を進めるため、全ての小中学校に教育用のパーソナルコンピューターが配置されました。ファミコン世代の子どもたちには、キーボートへのアレルギーもないようです。(10月 島内小学校で)

第1回子ども議会

11月10日、市内の25小学校の6年生の代表50人が議員になり、第1回子ども議会が開かれました。「道路は広く人にやさしく」「ホタルの住める川を」「もっと街に緑を増やして」など多くの提言がありました。(11月10日)

お問い合わせ

総合戦略局 秘書広報室
〒390-8620 長野県松本市丸の内3番7号(本庁舎2階)
電話:0263-34-3200 FAX:0263-35-2030

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