まつもと文化遺産
ページ番号:320-288-095
更新日:2020年9月16日
まつもと文化遺産について
市民が自分の住む地域に誇りを持ち、歴史や文化を活かしたまちづくりを進めるため、地域で保存活用されている関連文化財群(歴史的・地域的関連性に基づき、一定のまとまりを持つ複数の文化財)の中から基準を満たしたものを「まつもと文化遺産」として認定する制度を創設しました。
まつもと文化遺産とは
「松本市歴史文化基本構想」では、歴史的・地域的関連性に基づく一定のまとまりを「関連文化財群」として設定しました。
これらの中で一定の要件を満たしたものを「まつもと文化遺産」として認定し、その活用事業を支援するものです。
認定基準(まつもと文化遺産制度実施要綱第3条)
1 保存活用団体により保存及び活用されているもの
2 保存活用団体は、次に掲げる要件をすべて満たすもの
(1) 関連文化財群の保存活用事業が、地域内に広がりを持ち、地域のまちづくりや活性化に寄与するものであると認められること
(2) 関連文化財群の保存活用に係る具体的な事業計画を有すること
(3) 担い手の育成や青少年への教育にも配慮するなど、関連文化財群の保存活用について継続性が期待できること
(4) 関連文化財群を構成する物件のうち、事業に係る物件の所有者又は管理者から事業実施の同意が得られていること
「まつもと文化遺産」認定候補となる文化財群一覧です。
認定申請について
「まつもと文化遺産」の認定申請を検討される団体は、申請前に文化財担当へ御相談ください。
認定まつもと文化遺産
位置図
まつもと文化遺産の位置
古代より人々の集うまち~ふれあい広がる大日堂~
認定年月日
平成31年(2019)2月26日
保存活用団体
松本市沢村町会
構成する文化財(関連文化財群)
大日堂、道祖神、首貸せ地蔵尊、賢忠寺跡、数珠回し、大門沢川、沢村おんど
ストーリー
東西の大門沢川が合流する一帯は水の便に恵まれ、縄文の昔から人が集まり、集落遺跡や古墳が残ります。戦国時代に小笠原長時が戦勝祈願をしたと伝わる大日堂にはかつて修験者がいて、今も大日如来座像などの諸仏が安置されています。毎年3月には「数珠回し」で人々は地域の安全を祈ります。また、この地は城下町の北のはずれで、沢村の村ざかいには道祖神がまつられています。松本城主水野忠清に由来する賢忠寺跡や首貸せ地蔵尊は、松本城との関係を物語る文化財です。
これらの文化財群からは、古代から現在にいたる人々の信仰や地域の営みを浮かび上がらせます。
活動
歴史講演会を通して文化財の価値をみんなで学び、大日堂のケヤキの落ち葉で子どもたちと焼き芋会をしたり、復活した「沢村おんど」を各地で披露することなどで、文化財を確実に後世に伝え、ふれあいを広げ、大日堂を核にした地域づくりをより一層進めていきます。さらに英語案内版やQRコードを利用した情報発信なども一層充実させていきます。
近代今井の象徴~幕府領が守った文化財~
認定年月日
平成31年(2019)2月26日
保存活用団体
今井地区文化財委員会
構成する文化財(関連文化財群)
宝輪寺遍照(へんじょう)殿(でん)・鐘楼・千手観音立像
正覚院観音堂ほか堂宇・聖(しょう)観音(かんのん)立像・什物
田中家墓地石仏、三村家千手観音立像、若沢寺庫裡(にゃくたくじくり)襖絵(ふすまえ)軸
ストーリー
もらい受け 堂宇(どうう)整う 廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)~今井ふるさと歌留多より
明治の廃仏毀釈によって松本藩内の多くの寺院が廃寺となりましたが、幕府領であった今井にはこの災難が及ばず、壊されそうになった仏像・建物をこの地に受け入れました。今井は古くから仏教文化が色濃く、念仏講が盛んで多くの名号碑があります。一連の文化財群を見ると、仏さまを受け入れた背景だけでなく、廃寺となった波田若澤寺・浅間温泉大音寺、北小野真光寺などの歴史も語りかけてきます。明治維新の激しい時代の変わり目にさまざまな理由で今井へもたらされた文化財を、先人は今日まで守り通してくれました。
活動
松本の廃仏毀釈の歴史、文化財を守った彼らの心根を、みんなで学びます。文化財を送り出した地区や、幕府領で仏さまを受け入れた他の地区へも学習の輪を広げます。この文化遺産を未来へ守り継ぐために、見学会、文化財調査、紙芝居やパンフレットの作製、新規就農者向けの講座、今井小学校などでの講師役を行い、文化財を守る担い手の育成につなげます。
嶋之内の成立と発展~平瀬城&犬甘城 街道と水~
認定年月日
令和2年(2020)3月27日
保存活用団体
島内地区歴史文化財調査委員会
構成する文化財(関連文化財群)
平瀬城&犬甘城
平瀬城跡、犬甘城跡、川手口口番所跡、熊倉の渡し、陣畑、加助惜別の岩、法住寺跡、平瀬氏館跡、犬飼氏館跡、開善寺、川合鶴宮八幡社、武宮神社、大宮神社、古宮神社、鳥居火
街道と水
塩の道、泉小太郎伝説、川手街道、山田道、養老坂道、旧糸魚川街道、長尾道、氷室道、千国道、仁科道、野麦支道、梓川、奈良井川、拾ヶ堰、勘左衛門堰、ワサビ田、湧水、造り酒屋、染色業
ストーリー
島内地区は松本市の北西部に位置し、東には城山丘陵、その麓下の平坦地は南から奈良井川、西から梓川が流れ、それが合流して犀川となる場所にあります。特に北アルプスを源とする梓川は古くから流路を幾たびも変え、そこに成立した微高地は島状となっていて人々の生活の場となっていました。そのため古くは嶋之内と呼ばれ、それが現在の島内の呼称になりました。
このように両河川が合流する場所であったため水害に苦しむこともありましたが、人々は川の普請に努め水路を引き、現在では恵まれた水田地帯となっています。また島内は筑摩郡と安曇郡の境界に位置することから、両郡を結ぶ交通の要衝として重要な場所でもあり、大町から糸魚川へ、山清路から善光寺へと道が延び、川があったため橋や渡し船といった交通手段も使われていました。
犬甘氏や平瀬氏は、東部の丘陵に犬甘城や平瀬城といった山城を構えて、陸水の交通の要衝を押え、嶋之内の地に勢力を伸ばしました。本地域には犬甘氏や平瀬氏に関係する文化財や、安曇や水内方面を結ぶ街道や水運に関わる文化財が残されています。
活動
平瀬城跡の草刈り等登城路の整備・保全を行います。「嶋之内の成立と発展」総合パンフレットを作成し、テーマ別講演・講座、史跡巡りウォーク、現地見学会なども実施します。また、コミュニティスクールの活動に位置付け、小中学校と共に地域学習として取り組みます。
松本城下北の要 武家のまちと商家のまち
認定年月日
令和2年(2020)3月27日
保存活用団体
安原地区まちづくり協議会
安原地区歴史研究会
構成する文化財(関連文化財群)
人の往来と物流由来の文化財
善光寺街道、一里塚跡、石造物(追分:庚申塔・馬頭観音像・廻国供養塔・道祖神、元原:庚申塔)
松本城とその時代の文化財
町割りと街路、町名、生活用水路、辻井戸、橋倉家住宅、宝栄寺、稲荷社、常法寺跡、木戸番所跡、鉄砲矢場跡
石造物(十王堂跡:念仏供養塔・地蔵菩薩・千手観音、天白神社:きつね・狛犬・石灯籠・手洗鉢、摂取院跡:子育地蔵尊・如意輪観音・庚申供養塔)
暮らしと伝統文化由来の文化財
ぼんぼん、青山様、七夕、提灯、神輿、七夕人形、三九郎様、オンマラサマ
ストーリー
善光寺を目指す旅人は、安原地区で松本城下を抜け、岡田宿へと進んでいきました。安原地区は松本城下の北部にあたり、和泉町・安原町と続く町人地とその周囲に広がる武家地、明治以降拡大した市街地とで構成されています。城下町の北の口にあたるということから一里塚跡があり、さらには城下町の建設にあたった石川氏が城下の入口に設けたという十王堂の跡や石川氏が崇拝したという天白社もあり、その後水野氏時代に拡大した天白丁・中ノ丁・東ノ丁といった武家地もあって、松本城下の成立とその後の拡大の様子を見ることができます。
善光寺街道沿いの小路や商家の土蔵、武家屋敷の屋敷割や長野県宝橋倉家住宅のような武家住宅も残り、そこには生活用水の確保のために設けられた辻井戸も残っていたりして、町人と武士の生活が隣り合う地域としての文化を今に伝えています。
松本城下町の伝統行事であるぼんぼん・青山様を今に伝えていて、現在も辻井戸の場所がその集合地になったり、城下町の道祖神信仰を伝えるオンマラサマがまつられていたりと、古くから続く民俗行事が近世以来の町割りを舞台に営まれ、当地の風物詩となっています。
活動
地区内文化財の調査・研究・記録保存・保存整備を継続的に行います。講演・講座のほか、安原地区ウオーキングマップを活用し、歩きながら学習する活動も行っています。地元小学校のコミュニティスクール事業では、毎年6年生の「歴史のまち歩き」の講師を務めています。文化財案内板の維持管理・新規整備にも努めます。こうした活動を通し、城下町のまちなみを残して活かし、次世代へ継承していきます。
「市民歩こう運動」ウオーキングマップへのリンク
各地区のマップはこちらも活用ください。
※沢村は城北地区です。
まつもと文化遺産補助制度について
指定文化財保存活動団体・まつもと文化遺産保存活用団体への補助金について
こちらのページを御覧ください。
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