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菅谷市長退任記者会見 令和2年(2020)3月27日

ページ番号:180-716-491

更新日:2020年3月27日

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令和2年3月27日 市長退任記者会見

【市長】
 お疲れ様です。私こういう退任記者会見があるなんて知らなかったものですから、日頃の記者会見でいろいろなお話をさせてもらっていますから、特にこういうものは必要ないのではないかと思っていますが、一応こういう形式を取るということですから、退任記者会見にあたりまして、一言お礼を申しあげます。報道各社の皆さんにおかれましては、私の市長在任中、定例記者会見をはじめとして、松本市の行政運営ならびにさまざまな行事や、市民活動等について、多様な媒体を通し、報道いただきましたことに、改めて心より感謝を申しあげます。残念ながら私自身の能力不足によって、まちづくり政策の成果が、市民の皆さんにとって、十分満足いくものはなかった点については、深く反省をし、おわびを申しあげる次第です。ただそれでも、皆様方の報道のおかげを持ちまして、それなりの評価をいただきましたことを、大変ありがたく思い、重ねてお礼を申しあげます。今後は、臥雲市長による新たな体制のもとで、松本市のさらなる飛躍を願うばかりです。あわせて、報道各社の今後ますますのご隆盛を心よりご祈念申しあげるところであります。長きにわたり、大変ありがとうございました。

 私からは以上です。

【記者】
 1期目のときに3K政策を掲げ、2期目から健康寿命延伸都市ということでまちづくりのさまざまな政策を進めてきましたが、健康寿命延伸都市の一連の政策の達成度をどうお考えでしょうか。

【市長】
 健康寿命延伸都市の達成度か。大変難しい質問ですよね。これは限りがないですからね。達成度というか、今回の選挙もそうですが、ここが十分理解されてないのだなということは、私がもともと健康寿命延伸ということを言ったのは、これからは従来言われている平均寿命ではなくて、健康寿命にいくのだということを私は言いたかったのです。で、延伸というのはあくまでも延ばそうということなのですが、そのことを別に求めていなくて、こういう時代は、従来言われているような、心臓が動いたり呼吸したりしている平均寿命ではないですよということで、早く皆さん健康寿命ということを理解してくださいということでスタートしました。このことを日本全体によくわかってもらえなかった。ところが、今や本当に健康寿命は当たり前に言いますが、私は国が言う10年ぐらい前、長野県にいるときにそれを考えたわけです。そういう意味でいえば、達成度というより健康寿命という考え方を、日本や世界が動き始めているということに関して言うならば、合格点を与えるのではないかなということです。そこからまたこういう健康寿命をどう持っていくかということは、それぞれまたお考えのある人がやっていけばいいので、いろんな政策があるだろうと思います。やはり私が当初言ったように、これからは、量から質への転換という意味は、ただ単に長生きしたらいいのではないですよ、その生きている内容が問われますよと、質の問題ですよということで、それが健康寿命に繋がるのですよね。今まさに皆さん方よくみんな生きがい生きがいと言い始めていますが、これは私最初のときにも、これからは生きがいということが出てきますよということで(言いました)。そういう意味で言えば、私としては、国を動かそうということで考えれば、国が動いていただいているということは大変ありがたいと思っています。ここのところどうしても、健康寿命が延びている、延びていないと(言われますが)そうではなくて、松本市の健康寿命は松本市なりに延びているのですが、全国的にトップレベルに、それはそれでいいのですが、そういうことではなくて、やはり各都市、地区がそれぞれ健康寿命を延ばすようにしてくださいというのが基本で、1位、2位を争うような話ではないのですが、そこのところを、取り違えているから、それは違うのだなと私は思っていますけどね。

【記者】
 16年を振り返り、菅谷市長は平和であったり、原子力関連であったり、積極的に発信を続けてこられたと思います。国に対しても時に発言するような機会もありましたが、このような姿勢をお持ちの背景に、国と地方の関係は本来どうあるべきなのか、その辺りの市長なりのお考えはいかがですか。

【市長】
 これは、つい先日も報道関係のトップの方にもごあいさつをしたときに、あれだけ歯に衣着せぬ首長はいなかったと言われました。それは、今言われたように、私は国に対しても、県に対しても、自分はこう思うということを述べてきたわけですよね。それは私の生き方にも繋がっているし、やはりどうしても基礎自治体や地方公共団体のトップになると、国や、基礎自治体の場合は県ですね、そういうところに対して、あえて物を言うとこれに対してしっぺ返しが来るのではないかとか、政治的な思惑なんかがあると、なかなか自分のことを言えない方が多いですが、私はいつも胸の中に辞表を持っていますからね。ですから、いつでも自分の思いはきちんと言っていくと。それで、もし松本市にいろいろな圧力などがかかり、私が悪いとなれば、いつでも身を引くということが私にはできていたから、ある意味で自分の思いを正々堂々とちゃんと言えたわけですよね。やはりそれぐらいの気持ちを持っていないと一つの行政体のトップとしてやっていくには、なかなか自分の主張は出せないということがありますが、私はそういう意味で言えば、言うべきときははっきり言わせてもらってきました。これはわたしの一つの生き方とか哲学であったと思います。これからもそういう状況だと思います。

【記者】
 もう少しその生き方、哲学のところを掘り下げてお伺いしたいのですが。

【市長】
 いや、そんな。

【記者】
 どんな生き方、どんな哲学があってそのような発言になったのですか。

【市長】
 難しいことはないです。ごく自然に生まれ育ったときに、自分はこういうことはおかしいのではないかということがあるではないですか。それは例えば、各報道の会社はそれぞれ社是とか、こういう方針だということがあるではないですか。それと同じようなもので、私は個人としてこういう生き方をしたいという。ただ、なぜそうなったかと言われてしまうと、それは私だってわかりません。ただ、そうやって生まれてきて、いろいろなものを見ながら、私の生き方としてはそうではないのではないのかということで言わせてもらったということですね。それは生い立ちもあるかもしれませんし、あるいは自分の友人関係とか、周囲の方々の影響があるかもしれませんね。

【記者】
 臥雲次期市長に対して、本物のまちづくりという表現をされていましたが、この4期16年、市民とまちづくりを進めてこられてきたと。菅谷市長にとってまちづくりとは。

【市長】
 そうですね。私は市長職をやらせてもらったときにはいつも悩んでいました。どういうまちづくりをしたらいいのかなということで、自分なりに悩んでいましたから、大変難しいものだなということは思っていました。そういう中で私が市長になったときに申しあげたのは、これからは成長から成熟に移らなければいけないよと最初に申しあげました。右肩上がりの成長成長ではなくて、これからはやはり成熟の社会を、まちを作っていくことが必要だということで。そういうことでいきますと、どうしても成長型の場合は、経済とか観光とかに首長さんは重点を置くわけですが、私の場合はどちらかというと、いかに魅力的な生活の場を作るかということで、私はやはり、まず市民の皆さんが安全安心のもとで日々を送ることができる体制の確立を第一選択としたわけです。そういう意味では、経済も大事ですが、普通の市長、首長さんたちが、経済とか、観光に持っていくよりは、今言ったように、そちらよりもむしろ医療福祉という形になるかもしれませんが安心安全をまず重点的に政策を進めていきまして、それがある程度できた後で今度は、経済や観光、あるいはいろいろなところに手を付けていく。もちろん、最低限の経済とかそういうことはやっています。でもどちらかに重点を置くかといえばそちらへいきたいということで、そういう意味で私はどういうまちづくりをするか、「本物の」というときに、やはり成熟型に今日本は動いているのではないかなと思って。皆さん方の、新聞やそれ以外の映像の報道を見ていると、やはり日本国民はそういう方向に動いているのではないかと思っています。やはり最後は人間死ぬわけですから。死というものを考え、振り返ってみるときに、自分がどういう生き方をしてきたかとか、あるいはこれからどういう生き方をしなければいけないとか、そういう方向にいくのではないかと思っているものですから、私が言った本物のまちづくりというのは、できればそういうまちづくりをしてもらえばいいなと思っていました。

【記者】
 いい話もあれば、いろいろな市民との対立も菅谷市長の時代にはあったかと思います。特に生活保護の窓口に防犯カメラを設置するというときにも、市民団体等から反対の声がありました。時に市民と対立する場面もあったかと思いますが…

【市長】
 いつもしていたかな。

【記者】
 時にという前置きをさせていただきますが、こういう市民とぶつかり合った機会を市長はどう振り返りますか。

【市長】
 このことについては、私は、できるだけ市民の皆さんとの、合意を持ちながらやっていくのは基本だろうと思いますが、行政の立場は何でもかんでも市民の立場ではいかないこともありますよね。ですから、その辺で私自身、いくつかのところでは、市民の皆さんからご納得いただけないというところがありましたし、その辺のところは例えば、防犯カメラの問題にしても、決して私は監視とかそういうことは全くなくて、あくまでも防災という視点からで、なおかつ、本当はこれもやはり報道の皆さんに(報道)していただいたら良かったなと思うのは、私どもは、例えば、生活保護の方に対しては、もし必要だったらきちんと相談を別室でやりますよということを全部準備したのですが、そういうことは全然書いてもらえないから。突然、防犯カメラを入れたらどうですかとやられたら、それは私だって、それだけ言われたら、それはカメラというものはいけないよねと言います。ですが、私どもがやってきたのは、それより前にどうしようか検討して、もっと言えば、ご承知と思いますが、松本市のセキュリティは非常に甘いということを、警察署から言われてしまったのですね。それまではしなかったものを、事件なんか、ある方に職員が暴力行為というときには警察にお願いして来てもらったと。そのときに、警察署のトップが、松本のセキュリティは非常に甘いと、これは危険ですよということを2回、3回言われて、私に直接、これは何とかした方がいいですよと言われたことがあるから、それでどうしようかっていうことで、今の形になったことが全部抜けてしまっています。突如防犯カメラを置いたと思ったらそれは大間違いで、そこのところが、私たちが、要するに付け足して言うことができず、報道されるままになっていたから、とても残念に思っています。だからこの辺は本当に、プロセスをきちんと書いていただければ、私はもっと市民の皆さんにとって、「そういうことなのか」という理解が深まったと思うのですが、この辺が、ある意味で私たちは何も言えないところがあるのですよね。今日はこういう機会で最後ですから、あえて私は言わせてもらっているところがありまして、そういう意味で市民の皆さんと行政が話はしているのですよね。多分担当部はね。そんなところですね。

【記者】
 今日、退任するというこの日を、どのようなお気持ちで迎えられたかというところは。

【市長】
 極めて淡々としています。私はベラルーシから5年半の活動を終えて去るときも、やはり淡々として、また会えますからねということで、そのままさようならと言って、飛行機に乗って、飛行機から改めてベラルーシという国を見ながら、さようならと言って、それで帰ってきました。今回も別に私は皆さんとだってまたどこかでお会いすることがあると思うから、全く平常心ですよね。

【記者】
 4期16年という長きにわたって、何かその中で、最も印象深い出来事ですとか、逆に心残りのことですとか、その辺は何かありますか。

【市長】

 行政運営の中で、心に残ることがあるかと言われると、私自身やはり困って行き詰まってどうかということは基本的にはなかったですからね。ですから私は、登校拒否でなくて登庁拒否になったことなど1度もありません。職員の皆さん、副市長をはじめとして支えてもらってきましたし、とにかく自分の体調に気をつけながらつつがなくここまで来れたわけです。すごく思い出に残ることが何かありますかといったら、苦労してやったわけではないですから、大体普通に私は淡々としてやっていて、それがある程度形になっていったものですから、そんなに深くはない。ただ私としては一番は、国難という表現をしましたが、やはり福島の原発事故ですよね。こういうあってはならないことが起こってしまったということは、自分が関わってきた関係上極めて残念で、それが今も尾を引いています。国難と私は言っていたのですが、意外と皆さんわかってもらってないということはすごく残念ですし、多分今回、オリンピックが延期してしまったことも、安倍総理がアンダーコントロールと言った時に、どれぐらいの日本国民が信じているかということですよね。こういうことをやはり今、記者が言ったように「よくそんなこと言うね」といいますが、やはりアンダーコントロールと言っていることに関しては、本当に皆さんがそう思っているのかどうか改めて考えないといけないし、このオリンピックによって、そういうことをないことにしようとは思っていませんが、しかしどうしてもそう思えてしまうところがあるものですから。今回のオリンピック延期ということは、結構、痛手ではないかと私は思っています。福島の人の声から言えば、今はオリンピックをやっている場合じゃないですという声だって皆さんの報道で書いているわけですから、そういう方もいらっしゃるとすれば、やはり国は考えなければいけないだろうと思います。今回の新型コロナウイルスだって私が国難と言ったのはやはり同じです。もう少し本当に真剣に考えていかないといけないときに、どこか日本の方向が甘いというか、ずれているというところもあるのではないかと思っています。個人的にですが。市政と関係なくて申し訳ないですね。

【記者】
 今、新型コロナウイルスの話も出ましたが、全国的に感染拡大してきているこの状況の中で、当然市長の任期が決まっているので致し方のないことではあるのですが、この状況下で、市政の現場を去らなければならないという、その辺の思いはいかがですか。

【市長】
 そうですね、本当に私にとって今日(3月27日)が最後で、こういう状況になるということに関すると、私が側面的に何かできることがあるかどうかということは言えません。ただ、例えば私が今度一市民に戻りますから、そういう市民の中で何かお手伝いすることができれば、今度は医療者として、いろいろな助言をすることができると思います。日常の生活を含めていろいろなことです。あとは臥雲新市長が、陣頭指揮でおやりになるだろうと思っていますから、それを本当にいい方向にやってもらえばいいと期待しています。

【記者】
 今、今後という話が少しありましたが、引退を表明された昨年11月の市議会臨時会で、今後について問われ、ベラルーシに行きたいというお話もされていました。具体的に今後の活動で何か予定されているものがございますか。

【市長】
 私はチェルノブイリの原発事故に対しての医療支援に足を踏み入れたということになると、これはやはり私のライフワークではないかと思うし、私が市長になったときに坪田副市長に「やはりチェルノブイリは菅谷さんのライフワークではないですか、ですから、もしこの任期中に活動されるようなことがあれば、市政に支障がないような形で、バックアップをちゃんとやりますから」ということを言っていただいて、大変ありがたく思っています。ようやく今度は自由の身になりますから、そういう意味では、ライフワークを少し今度は肩の力を抜いて取り組んで。やはり私が今一番気にしているのが、福島はどうなるかということです。チェルノブイリの現状から考えれば、福島はこれで収まるわけではないと思います。現実にやはり、デブリを含めて30年40年でまだ方法すらもできてないし、また汚染水の問題だってそんなに簡単にいかないだろうと思うし、あるいは廃棄物や土壌をどこに持っていくのかということで、中間処理施設的な、処理という表現はおかしいけれども、置いておく場所だって、それでは次にどこへ持っていくかなんて、全く政府は何もわれわれに示してくれませんから。大変な問題です。結局は、原発をどうするのかという問題にも繋がってくると思います。これはやはり日本の皆さんが真剣に考えないといけないということがあります。一番うれしいのは、私はこれで自由の身になると、これまでは3Kの日々なのです。皆さんご承知だけれど、3Kプランと言ってやはり健康づくり、子育て支援、危機管理と言いましたが、今度、私自身のことで3Kの日々というのは、一つは、常に緊張状態の日々だったKですね。それから二つ目は、拘束状態の日々だったのですね、ずっと拘束されましたから。16年間私は墓参りとか、年末には実家に行っていたのですが、16年行かなかったですから。それはやはりここにいなければいけない、何か起こったらいけないと拘束されていましたから。だからそういうこととか。あるいは、もう一つ、監視状態の日々だったのですね。これは、市民が本当に私を監視していましたから。だから先ほどの防犯カメラどころではなくて、私は監視の目を持って見られていましたから。だからそういうところから考えると、私はいつも自らの危機意識を継続させて、維持させなければいけないという日々だったものですから。そういう意味では、これから開放されるということになると、明日から本当にほっとできますね。そんなところです。

【記者】
 今、少しお話がありましたが、2月の市議会定例会のときに、市長ご自身でよく耐えたというふうにおっしゃっていて、なかなか辛いというか大変な日々を過ごされていたと思うのですが、そんな中でも行政のトップ、市長として、市長という職をお勤めになって、やっていてうれしかったこととか喜びは、どんなところにあったのでしょうか。

【市長】
 本当に私はありがたかったのが、この16年間は自分磨きの日々でしたね。全く今まで知らないところに足を踏み入れて、行政ということになり、しかもトップになってやるわけですから。そういう意味で、職員の皆さんはみんな優秀なプロですから、そういう方々、これはもちろん副市長以下に教え導かれて、行政というのはこういうものかと学ばせてもらったのですね。大変ありがたかったです。だからそれ全てが本当に喜び、生きがいでした。ですから私も先ほど言ったように、登庁拒否がなかったのですよね。本当に毎日。ただ、毎日4時過ぎに起きて、やはり間違いがないように、いろいろな書類に目を通すとかということは、特別な場合を除いては、そうやってきました。今日も午前3時45分に起きてやってきましたから。やはりそれだけ緊張するというか、間違ってはいけないということで、23万余の皆さんに迷惑をかけてはいけないということがあったものですから、それがむしろまた良かったと思います。喜びでもあったし。こういういいまちの市長職を担わせてもらったということに関しては、むしろ本当に幸せだったなと思っています。でも一番ありがたかったのは、胃がんの手術をして、そのまま市長職を続けた時に1日たりとも休んだことはないのですよね、私は。インフルエンザにかかるとか、何か体調悪くてというのが全くなくて、全てを全うできたということで、これは本当に、私は市民の皆さんに迷惑をかけずに市政運営ができたということに本当に感謝していますし、ありがたいと思っています。

【記者】
 今後のことですが、例えば地域医療の現場に戻るとかそういったお考えはあるのでしょうか。

【市長】
 地域医療?いやもう私は時代遅れで駄目ですね。医学はどんどん進んでいますから。基本的なことだけは変わらないですが、今の医療事情というものは本当に進んでいますから。とてもこんなロートルがやってはいけないです。

【記者】
 チェルノブイリとか福島の医療支援は。

【市長】
 医療支援というか、今のやはり私の(やりたいことは)、チェルノブイリの事故等の影響を受けた、例えば健康被害状況がどうであるとか、環境被害がどうなのかとか、今もって残っているかどうかということを、やはりちゃんとチェックして、向こうのデータを教えてもらって、福島でもそういう可能性があるとすれば、いろいろな対応を今から考えたほうが良いのではないかということをやれればいいと思っています。それは、国に対してもこういう状況ですよということを、向こうの事実を申しあげて参考してもらえればと思っていますけどね。

【記者】
 そのデータというのはベラルーシのほうに。

【市長】
 はい、保健局とかそういうところに行って、病院にも行って。ありがたいことは、私が指導して、指導という表現はおかしいですが、一緒にやった人が今度はがんセンターの院長になったということで、そういうネットワークを持っているものですから情報が入るのです。

【記者】
 やはり現地にも足を運ぶのですか。

【市長】
 はい、本当はもう行く予定だったのですがこの状況なので。それで、少し今は難しいということです。もし良かったら一緒に行きましょう。

【記者】
 いくつか今後の話題が出ていましたが、市長引退後というのは、私人としての立場でそういった活動をされるのか、あるいはどこかの団体であったりとか、病院であったりに所属したりとかは。

【市長】
 いやいやもう、私はもう全く一市民ですね。私人として肩の力を抜いて少しゆっくりやりたいし、しばらくは家にいます。私はやはり、一つは、これが最後になりますが、自分としては、市民の皆さんが私に市長として何を期待していたのかということは、やはり私にとって心の中に残っているのですね。どういうことを求めていたのかなと。ですから市政運営をやってきましたが、果たして市民の皆さんの期待と、もたらされた結果が、本当に一致じゃないのですが、市民の皆さんに満足いただけたのかということを、私は今でも気にしています。その辺が私言ったように、いずれ歴史が評価すると言っているのは、そこにあります。それはそれで歴史の評価を待つと同時に、私は、一方で今後は一市民として、私は客観性を持って、改めて自分のやってきたことを検証することが必要ではないかなと思っています。併せて私は市民の皆さんに要望ということで言いますと、松本市はこれまで、ある意味で小さな地方都市という形だったと思います。私が市長になった頃も、どちらかといえば、松本市というのは、小さな地方都市でしたが、皆さんご承知のとおり、その後16年経った時にはやはり、全国的なまちへと評価が高まってきているのはご承知かと思います。全国的な都市の仲間入りをしたということでしょうね。ですからそういう意味で、市民の皆さんには、そういう意識をやはり持つ必要性があるのではないかというのは、ぜひそういう状況であるということを認識していただきたいなと思っています。ですから旧来型の、単なる地域要望とかそれだけではなくて、それにとらわれることなく、より大局的な視点を持って、今後の松本のまちをどう持っていくかということを考えてもらうとうれしいなと思っています。その辺が、市民の皆さんまだまだ松本がどういう状況であるかを、これは私どもがやはり言い足りないのか、報道の皆さんにお願いして、もっと松本はこうだと言ってもらうのがいいのか。やはり松本は本当にポテンシャリティの高い潜在力を持っているわけですから。また臥雲新市長がさらに伸ばしてもらえばうれしいことです。ただそのためには、市民自身がそういう気持ちを持って、松本にもっと伸びてもらって。ただし、私は思うのは、大都会のようなああいうまちではなくて、やはり、いいまちだな、住んでいていいなとか、ここにずっといたいとか、そういうまちを目指してもらって。そんな大都会になるようなことは、私は…。それが本物のまちづくりというところにいくのかなと思っています。皆さんが生きがいを感じられるとなればありがたいと思っています。以上です。

 どうもありがとうございました。皆さん、お元気で活躍してください。さようなら。

【広報国際交流課長】
 以上で市長記者会見を終わります。

※この内容については、重複した言葉遣いや、明らかな言い直しがあったものなどを整理したうえで作成しています。

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