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花いっぱい運動の歴史

ページ番号:302-508-667

更新日:2016年8月18日

花いっぱい

『花いっぱい運動創始者小松一三夢先生が、昭和32年1月に出版した「花いっぱい」からの抜粋』
 馬車のラッパの音を聞きながら、わたくしは長野県のある村の、長くどこまでもつづいたくわ畑を馬車にゆられていきました。それはちょうど60年ばかりまえのことで、わたくしが小学校3年生のある日の日ぐれどきのことでした。わたくしのむねのなかには、別れてきたお友だちのことや、いままで住みなれてた土地のなつかしさがいろいろ思い出され、生まれて初めてわたくしは、さびしいという気持ちを知りました。
 わたくしの父は、小学校の校長先生をしていましたが、わたくしがおぼえているだけで4回も学校をかわりました。そのたびに、わたくしも、父母といっしょに、知らない土地にうつり新しいお友だちと、くらさなければなりませんでした。くわ畑をとおったときの、さびしい思い出もそうしたときのできごとです。
 こうしたさびしさをくりかえすのが、父母もかわいそうに思ったのでしょうか。5年生のとき父母と別れて、おじいさんやおばあさんのいる実家から学校へ通うことになりました。
けれど、学校でも、近所でも、したしいお友だちができず、あいかわらずさびしい心を持ちつづけていました。ときどき、いじの悪い子どもがいて、いじめられることもありましたが、わたくしはじっとがまんして、あい手にはしませんでした。けんかはしませんでしたが、けっして、まけたと思ったことはありません。心のなかでは、いつも正しいことをもとめ、まちがったことには、心のたたかいをしてきました。3年ごろまでは、ガキ大将としてあばれまわり母から『大きくなったら、どうなるのだろう』と心配されたほどのらんぼうものでしたが、このころから、だんだん内気な考えるせいしつになっていったようでした。

19歳のとき、小学校の先生になりましたが、このころから『社会を明るく、住みよくするためにはどうしたらいいか』ということを、真けんに考えるようになりました。自分が一生けんめい、生命をかけてやらなければならない事・・・・・社会の人たちに本当によろこんでもらえる仕事・・・・・こうした仕事をするにはなにをしたらいいかと、ずいぶん苦しみ、いろいろな人に話を聞いたり、本を読んだりしました。そのためには、まず自分の心のなかを美しくすること、なんでも人のためにできることはしてあげることなどに心がけました。
 けれど、これだけでは、社会の人たちにつくすことはできません。社会のためにつくす道はどういうものだろう・・・・・わたくしは病気のため、先生をやめ、新聞配たつやビルディングのそうじをして暮らしたこともありますが、いつもこの思いが頭からはなれませんでした。
 わたくしは、こどものとき、からだが弱く、内気な上に、頭もあまりよくなかったので、いまから考えるといろいろとむだな苦そうや、なやみをしたようにも思えます。けれどわたくしは、『人よりすぐれた人間ではない』と思っていただけに、一生けんめい自分をみがこうと心がけました。この気持ちは、いまでもかわりません。みなさんのなかには、わたくしに、にたような人が大ぜいいると思いますが、どうか『社会を明るくするためには、どうすればよいか』ということを考えてください。

 昭和20年8月、太平洋せんそうがおわったとき、日本中の町も村も山も川もあれはて、人の心もすさんでいました。せんそうにまけて、みんなが、生きるのぞみをなくし、こんだ汽車や電車に乗るとき、若い人が年よりをおしわけ、公園や駅に紙クズがちらかっているような暗い世の中でした。こうしたことをみるにつけ、『どうしたら社会を明るくできるか』と強く考えはじめたのです。それには、いくら、ためになる話をしても、『世の中を明るくしましょう』と呼びかけても、ただ、それだけではむだだと思いました。
 ある日、わたくしはふと荒れはてた町に、美しい花がいっぱいにさいているようすをゆめにえがいてみました。わたくしの住んでいる、日本アルプスのふもと、松本の街を花でうめようと考え、わたくしのむねは少年のようにおどりました。『そうだ、花を街にうえることが世の中を明るくする一ばんよいことだ』と強く感じたのです。
 日本人はむかしから自分の家の庭に草花や木をうえて楽しんできました。これは、自分だけが楽しむだけで、社会の人たちがいっしょに楽しむことにはなりません。うら庭の草花をみんなに見えるところへうえたら、どんなにか。人の心をなごやかにすることができるでしょう。
わたくしは、おとうさん、おかあさんをはじめ、子どもたちも、みんなが力をあわせて、家の前や、空地、土手、道ろわきなどに花をうえるように、よびかけることを心にきめました。
 はじめのうちは
『ゆめのような考えだ』
『バカげたことだ』
といって、世間の人たちは、なかなかあい手にしてくれませんでした。けれど、一人、二人とわたくしの考えにさんせいする人がふえ、昭和27年ごろには十人になりました。このなかには、お医者さんもいれば、工場やお店の人、先生、おかあさんたちもいましたが、みんななかよくそうだんし合いました。
 そして、この運動の名まえを『街を花いっぱいにする会』ときめ、運動を推めました。街を花いっぱいにする会と名をつけたのは、人びとがこの名まえを聞いただけで、運動のなかみがすぐにわかるようにと思ったからです。
 こうして、運動がすべり出したのは、27年の4月8日、おしゃかさまの生まれた日、花まつりのときです。(母の命日)いまから考えると、花にえんのある花まつりにスタートしたことは、ふしぎなことのように思えますが、そのときから『この運動を松本から日本全土に  そして世界の国ぐにに  』という大きなのぞみを持っていましたから、それにふさわしい出発だったといえましょう。

お問い合わせ

建設部 公園緑地課
〒390-0874 長野県松本市大手3丁目8番13号(大手事務所6階)
電話:0263-34-3254 FAX:0263-34-3299

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