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針塚遺跡再葬墓出土弥生土器

ページ番号:107-708-154

更新日:2018年9月28日

(読み方)はりづか いせき さいそうぼ しゅつど やよい どき

  • 指定等区分 松本市重要文化財
  • 指定年月日 平成7年4月28日
  • 種別 考古資料
  • 所在地 松本市中山3738-1(松本市立考古博物館)
  • 所有者 松本市
  • 時代区分 弥生時代

松本平の弥生時代のあけぼのを物語る

市民の手による発掘調査

針塚遺跡は、里山辺の針塚古墳の周辺一帯に広がる遺跡で、現在は畑や水田となっています。昭和40年代、畑の耕作中に大型の壷形土器が3個出土していましたが、昭和57年(1982)にも耕作により土器の破片が出土しました。これを契機として、山辺歴史研究会が中心となって針塚遺跡の発掘調査が行われました。調査はおよそ60平方メートルの範囲で行われ、土坑(地面に掘られた穴)が5基発見されました。この土坑の中には大型の壷形土器が納められており、また土坑の周辺にも同様の壷が発見され、弥生時代前期の指標とされる遠賀川系土器(おんががわけいどき)も2点出土しました。

中信地方で初めての再葬墓の発見

昭和57年の発掘調査の際に発見された大型の土器を納めた土坑は、再葬墓とよばれるお墓の一種です。再葬墓は、人を葬るとき、まず土中に埋葬するなどしてから、遺骸の骨だけを取り出します。この骨を土器の中に入れ、地面に掘った穴に土器を納め、埋葬するという手順をとります。この埋葬の方法は、一度遺骸を葬った後、再度埋葬を行うため再葬とよばれます。
針塚遺跡の再葬墓の調査は、当時中信地方では初めての例でした。再葬墓は、縄文時代の最終末から弥生時代の初頭にかけて、東北地方南部から東海地方にかけて広く行われたようで、各地で針塚遺跡と同様のお墓が確認されています。どこの例も、大型の土器を用いている点が特徴的です。針塚遺跡から出土した土器も、高さ40cmを超えるものが多くみられます。

再葬墓出土土器が語ること

針塚遺跡の再葬墓から出土した土器は、その形・表面の文様・土器の作られかたなどから、弥生時代の初め頃のものと考えられます。また、土器の中には、松本平の縄文時代終末期の特徴をよく残すもののほか、西日本で多く出土する遠賀川系土器や、東海地方や東北地方南部との関連が強くみられる土器もあります。したがって、さまざまな地域と接触がとられた結果、弥生文化がこの地に流入し、成立したことがうかがえます。
松本平では、縄文時代終末期から弥生時代初めにかけての遺跡の分布がはっきりとせず、針塚遺跡の再葬墓をつくった人々の集落の跡も確認できていません。しかし、針塚遺跡の調査と、それによる再葬墓の発見は、それらを明らかにするための出発点として位置づけられるものです。

お問い合わせ

教育部 文化財課
〒390-0874 長野県松本市大手3丁目8番13号(大手事務所3階)
電話:0263-34-3292 FAX:0263-34-3290

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