宮坂勝(みやさか・まさる) 生没年 1895〜1953年

【作家紹介】
南安曇郡梓川村(現松本市梓川)に生まれる。
東京美術学校に入学し、西洋画を学びました。大正12年(1923年)からフランスへ渡り、オトン・フリエスに師事し、色彩画家としての道を歩みはじめました。4年後に帰国すると新洋画の急先鋒として期待され、次々に作品を発表しました。
フランスで学んだ絵画論は帰国してからも衰えることなく、帝国美術学校教授となって新洋画を教育するなど、日本の洋画界の古い体質を一掃しようとする姿勢を崩すことはありませんでした。郷里においてもその活躍はめざましく、三元社、中信美術会などを結成し、信州洋画界の礎を築きました。
自らの画業を全うするべく2度目のパリ渡航を計画していたといいます。しかし、若き日に魅了されたパリの地に2度と立つことなく、58歳の生涯を閉じました。
(M)  

【作品紹介】
作品名 
二人裸婦 
制作年
昭和28年(1953年) 
形 状
油彩、キャンバス 
サイズ
45.8cm×37.8cm 
 

 

ポーズを取って立つ2人の裸体の女性。宮坂の絶作となった未完の作品です。宮坂の死の直後に開催された昭和28年(1953年)春の第27回国画展に出品されました。
未完であり、最低の肉付けにもかかわらず、暗い背景の中に光を反射して浮かび上がった女性の白い肉体は、色彩画家・宮坂勝の作品としてその魅力を十分に発揮しています。








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